「問題意識がファクトを生む」 上野千鶴子氏 社会学者
#ファクトを活かそう 04

ビジネス
2019/6/26 6:30
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ハンス・ロスリング氏の著書「ファクトフルネス」が世界で約100万部のベストセラーになっている。テクノロジーが発達する中でも、データを基に世の中や未来を正しくとらえる習慣をつけようと提唱する。第一線で活躍する経営者や社会学者に、データの読み解き方や、人間が陥りやすい思考、ファクトの探し方などについて聞いた。4回目は社会学者の上野千鶴子氏。

日経は若手社会人と共に考える場を作ります(Twitter:@nikkei_jisedai

■一次情報をうのみにするな

――社会学者としてデータを扱う上で気をつけていることはなんでしょうか。

一次情報が正しいという前提で物事を考えてはだめです。データは作られる過程でいくらでも恣意が入るものだから、うのみにしてはいけません。また、データは変化します。「ファクトフルネス」は、人々が持つ「頭にインプットされた古いデータを更新しないという癖」を指摘しながらも、一次情報そのものの検証が不十分です。

一次情報が作られる過程をドメスティックバイオレンス(DV)を事例に説明しましょう。私が女性学の研究を始めたころには、DVに関するデータなんてありませんでした。そのころDVは世間では「痴話げんか」と認識されていましたからね。

DVに関する国際ランキングが国連によって初めて発表されたのが1995年。国には統計がなかったので、日本政府は民間の調査を紹介し、それがランキングに反映されました。その結果日本人女性のDV経験率は59%とエクアドルの低所得層並みの数字をさらすことになり、政府に衝撃を与えました。

うえの・ちづこ 社会学者。東京大名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門は女性学・ジェンダー研究

うえの・ちづこ 社会学者。東京大名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門は女性学・ジェンダー研究

実はこの民間の調査方法は口コミで回答者を広げていくスノーボールサンプリングと呼ばれるもので、回答率は上がるけれどバイアスもかかりやすく、科学的調査とは言えませんでした。しかし、当時の政府担当者が「政府にはないが民間にある」と紹介したために、国連もその数字を採用してしまった。このような偶然とも言える要因で、一次情報として数字が流通するんですよ。そうやって考えると、他の国のデータだってどう作られているのかわかったものじゃない。

ちなみに59%という数字に衝撃を受けた日本政府は、その後ランダムサンプリングという科学的調査でDV調査を行いました。その結果、2005年の日本人女性のDV経験率(身体的暴行)は26.7%というアメリカとカナダの中間、つまり先進国標準並みという結果がでました。民間の調査があったからこそ、日本でDVに関する調査が行われるようになったのです。

データを読み取る際にも気をつけなければなりません。日本のDVに関する調査はその後も実施されています。DVの申告数は増えていますが、これは日本の男性が暴力的になったことを意味するでしょうか。DV申告が増えたからといって暴力をふるう男性が増えたわけではありません。過去のデータがないのでDV自体が増えたかどうかは何ともいえません。では申告件数が増えたことから言えることは何でしょうか。これは臆測にすぎませんが、DVはかつてもあったが、受忍しなくなった女性が増えたということです。DV申告数のデータには女性の変化が如実に表れています。これがデータを正しく解釈するということです。

■女性学は何もないところから始まった

――研究に必要なファクトをどうやって集めているのですか。

女性学はデータも何もないところから始まりました。ファクトは作るもの、問題意識がないとファクトは生まれません。解決したい問題を調査をすることをアクションリサーチと呼びますが、アクションリサーチの結果、初めてファクトが立ち上がってくるのです。

セクハラもこうしたアクションリサーチを通じて世の中にファクトを示し、対策が義務付けられるようになった事例の一つです。セクハラはかつて「性的いたずら」「職場の潤滑油」などと呼ばれていました。当時はセクハラに関する定義がなかったので、女性は答えようがなかった。そこで調査は、どういったことをセクハラと呼ぶか定義することから始めました。「胸を触られた」とか「職場にヌード・ピンナップがある」とか。それをもとに答えてもらって、はじめてセクハラ経験率というデータが出るんですよ。

日本で初めてのセクハラ裁判が行われたのが1989年。この裁判を契機に、初めてセクハラ調査が民間の研究チームによって行われました。これも最初はボランタリーサンプリングで、科学的調査ではありませんでした。セクハラ調査も科学的調査に発展してファクトとなり、1997年に男女雇用機会均等法が改正された。セクハラの予防と対応が使用者義務になったんです。

もう一つ、私自身の研究が貢献した事例に「アンペイドワーク(不払い労働)」があります。見えない仕事である家事、育児、介護といった家で女がやっているタダ働きを定義しました。当時、家事を貨幣換算することへの抵抗は大きなものでした。男性側は主婦を「三食昼寝つきでいいご身分」と考えていたし、主婦の側も「家事はお金に換えられない愛の行為」と考えている人が多かったからです。

なぜ家事が労働なのでしょうか。国際的に用いられている基準に、第三者基準というものがあります。つまり、第三者に移転可能なものは「労働」ということです。食事や排せつ、睡眠は代わりがききません。そういった第三者に移転可能でないものは「活動」と定義します。家事の大半は移転可能な労働です。その上で、アンペイドワークを貨幣換算しました。その結果、アンペイドワークの評価額は国内総生産(GDP)のおよそ20%にも上ったのです。「主婦はいいご身分」という世間の思い込みを、データに基づいて定義し調査することで、女性が家でも働いている事実を証明することができました。

――最近注目しているファクトはありますか。

今注目しているのは、高齢者への虐待です。経済的虐待やネグレクトも含めれば、高齢者の虐待は相当な数になるでしょう。問題は、高齢者に被害の当事者性がないことです。引きこもりなどで年金に子どもがぶら下がってお金を搾取されていても、親は虐待の被害者とは自覚しません。なぜなら「子どもを面倒みるのが親の責任だ」と当事者は思っているからです。でも、実際にはお金が搾取されている。高齢者虐待の場合は、当事者の申告が難しいので、高齢者虐待の実態やリポートは、子どもの虐待よりもはるかに申告件数が低いと考えられます。

■思考停止に陥るな

――一般のビジネスパーソンはデータを作るより、見るほうが多いです。データを見る際、どういった点に注意すべきでしょうか。

統計リテラシーを身につけることです。データには必ず取り方の情報が書いてあります。対象者の性別や年齢、回答率、サンプリング方法、全部出ているはずです。ファクトチェックをする前にそういった情報を見て、どのようなバイアスがあるかをちゃんと理解しなければなりません。

データやファクトは定義次第でいくらでも姿を変えます。調査の仕方や受け止め方次第で危険なものになる。政敵を倒すなどといった悪いことにも使えます。去年の統計疑惑問題で、統計リテラシー教育が必要だと、ようやく学者たちが言い出しましたが、統計リテラシーはとても大事です。

最も危険なのは思考停止に陥ることです。日本人はその日暮らしになっている。消費増税時のポイント還元などがその典型です。目先の利益しか考えていません。事実を作るのは問題意識です。思考停止していてはファクトは発展しません。私が女性学の研究を始めたのも、女性に対する「こんなバカな」という現実を明らかにしたかったからです。

日本経済新聞社は7月11日、『ファクトフルネス』の共著者を招いた記念講演を開催します。著書で提唱している「データを基に世界を正しく見る習慣」の大切さを語っていただきます。詳細はTwitter(@nikkei_jisedai)から。

「#ファクトを活かそう」記事一覧】
(1)データのない世界を歩め インテグラル代表 佐山展生氏
(2)ビジネスは打率で検証を THE GUILD代表 深津貴之氏
(3)エビデンスで考える APU学長 出口治明氏
(4)問題意識がファクトを生む 社会学者 上野千鶴子氏
(5)データで解像度を上げる アル代表 古川健介氏
(6)物事を常に問い続けよ CAMPFIRE代表 家入一真氏
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