天皇陵の素顔(下)誰が被葬者か 続く議論
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関西タイムライン
2019/6/13 7:01
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百舌鳥(もず)・古市古墳群(大阪府、5世紀ごろ)に属する巨大古墳の多くは宮内庁が天皇陵など聖域として公開を厳しく制限している。だが保存と活用を図るべき歴史遺産でもある。相反する2つの実態を融合させようと研究者らの取り組みが営々と続く。

堺市の大山古墳(仁徳天皇陵古墳)(左)と上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵古墳)

堺市の大山古墳(仁徳天皇陵古墳)(左)と上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵古墳)

陵墓は様々な名を持つ。例えば「仁徳天皇陵」は「大山古墳」「大仙古墳」「大仙陵古墳」とも呼ばれる。前者は宮内庁が定めた被葬者の名を冠した陵墓名、後者は地名や古文書等に基づいた遺跡名だ。複数の名前の存在は古墳を取り巻く社会の変化を物語る。

■戦後に研究進む

宮内庁による仁徳天皇陵の正式名称は「仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵(みみはらのなかのみささぎ)」。平安時代の法令集「延喜式」に記された陵墓一覧に基づく。明治以降、政府は天皇の「万世一系」を体現すべく陵墓を整え、聖域化を進めた。どの古墳に誰が眠るのか根拠としたのが延喜式や古事記、日本書紀などだった。

誰が被葬者なのか議論は当時もあった。天武・持統天皇陵の場合、別の古墳に定めていたが盗掘時の石室内の状況を記録した古文書が見つかり、奈良県明日香村にある野口王墓古墳へと修正された。反対に根拠がない例もあった。応神天皇の皇后、仲姫命(なかつひめのみこと)は古代の文献に墓所の記録がない。名前と地名が一致するなどの理由で仲姫命陵とされたのが、古市古墳群の仲津山古墳(藤井寺市)だった。

「戦前は歴史の真正性より神話や物語が優先された」と高木博志・京都大教授(近代史)は説明する。「歴史学や考古学の戦後改革の焦点は史実と神話を腑分けすることだった」

墳形や円筒埴輪(はにわ)などの分析で築造年代が推定されるようになると、各地で陵墓の被葬者への疑義が相次いだ。百舌鳥古墳群では、仁徳天皇の陵とされる大山古墳から新しい技法による円筒埴輪が出土。だが跡を継いだ履中天皇が葬られたはずの上石津ミサンザイ古墳(堺市)では古い型式の円筒埴輪が見つかった。築造順と親子関係が矛盾する。

被葬者を巡る議論は今も続く。学術的に論じる際は特定の被葬者名を付けず遺跡名で呼ぶことが定着し、今では教科書などでも陵墓名と遺跡名とを併記するスタイルが一般的だ。

宮内庁と堺市が大山古墳で行った共同発掘現場の報道公開(2018年11月、堺市)

宮内庁と堺市が大山古墳で行った共同発掘現場の報道公開(2018年11月、堺市)

■公開求める動き

並行して陵墓を文化財として扱い公開を求める動きも始まった。文化財保護法では貴重な国民的財産を保存し、公開など活用に努めるように定めている。

宮内庁は「陵墓は十分に保全管理されており、文化財保護法による史跡指定等は必要ない」との立場を崩さない。被葬者も「現在の治定を覆すに足る確固たる資料はない」との見解だ。

ただ聖域の重い扉は僅かずつではあるが開きつつある。同庁が保全や整備に伴う発掘現場を研究者らに公開して今年で40年になる。研究者側の要望に応じた立ち入りも2008年に始まり、回数を重ねている。水質やホタルの生態など自然環境調査のため定期的な立ち入りも地元自治体に許可している。

同庁による調査成果は毎年刊行する書陵部紀要で逐次報告されており、築造年代などを探る重要資料となっている。文中で遺跡名を紹介することもある。徳田誠志・陵墓調査官は「陵墓が文化財的な価値を持つことは認めている。保全工事に伴う調査時には文化財保護法に基づいて自治体に通知している」と説明する。

世界遺産登録を目指す地元自治体と文化庁は一部の構成資産について「○○天皇陵古墳」など陵墓名のみ表記した。関西大の今尾文昭非常勤講師(考古学)は「世界遺産に登録されるのは学知が価値づけた古墳群で、『陵墓群』ではない。遺跡名を併記すべきだ」と厳しく批判する。「名称の一元化は陵墓と文化財の2つの実態があることを隠してしまう。併記することが学びのきっかけになる」

(編集委員 竹内義治)

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