古美術・骨董品中心に330点(古今東西万博考)
1871年・京都 西本願寺で日本初の博覧会

関西タイムライン
2019/6/11 7:00
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1871年(明治4年)の京都で、日本で初めてともいわれる博覧会が行われた。現在の博覧会が主に最新の科学技術を披露する場となっているのとは異なり、当時の展示品は古美術・骨董品が中心。武具や古銭、古書画、陶器など330点以上が、会場となった西本願寺の書院に展示された。約1カ月の会期中に1万1000人を超える来場者を集め、好評を博したという。

1872年の博覧会には欧米のメディアの通信員も訪れ絵付きで報道した=尼崎市教育委員会提供

1872年の博覧会には欧米のメディアの通信員も訪れ絵付きで報道した=尼崎市教育委員会提供

初回の成功を受け、京都府と民間などが協力し、京都博覧会社を設立。1872年以降、ほぼ毎年京都で博覧会が行われるようになる。会場も、初回の西本願寺に加え、建仁寺や知恩院、京都御所内でも行われるようになり、3回目の博覧会では来場者数は40万人を突破。当時の京都の人口が23万~24万人程度だったことを考えると、破格の集客力だったといえる。

博覧会は、欧米の流行の最先端が分かる場所だ。パリやロンドンなど、欧米の主要都市で開かれる博覧会の情報が日本にも届くようになると、東京や名古屋、金沢、広島など国内各地で博覧会が行われるようになった。

博覧会が人気を博した背景には、明治新政府の殖産興業のスローガンと博覧会の理念が一致していたことがある。また、江戸時代の鎖国が終わり、開国にあわせて国力を充実させていこうという気風に、世界各国の品が一挙に集まる博覧会が適していたことなどがある。

当時の京都は人口減や商工業の衰退などに悩まされていた。東京に行政などの機能の集中が進んだのが一因だ。流行である博覧会をいち早く大がかりに行えば、人口の流入や産業の活発化などが見込めるという当時の京都の人の思いもうかがえる。(山本紗世)

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