五輪選手村の食堂どうなる? 過去大会からヒント探る - 日本経済新聞
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五輪選手村の食堂どうなる? 過去大会からヒント探る

2020年東京五輪・パラリンピックの選手村では、24時間営業のメイン食堂を中心に最大で1日約5万食が各国選手団に振る舞われる。具体的なメニューは今夏にも案が固まる見通しだ。「日本らしさ」を打ち出しつつ、国籍や宗教など多様な食文化にどう対応するか。1964年東京大会の関係者や、近年の五輪を知る元日本代表らの話からヒントを探った。

「目が回るほど忙しかった」。約90の国・地域が参加した1964年東京五輪に集まった約300人の料理人の1人で、今も横浜の洋食店で腕を振るう鈴木勇さん(79)は懐かしむ。

代々木の選手村には、アジアや中東の選手団向けで鈴木さんが担当した「富士食堂」など3つの食堂があり、朝昼晩と約7千人分の食事が主にバイキング形式で出された。鈴木さんは海外選手の食べる量に目を丸くした。「当時は珍しかった1リットルの牛乳パックを1人で持っていく選手もいた」

料理人にとって、扱ったことのない海外のメニューも少なくなかった。本場の味にどう近づけ、円滑かつ大量に提供するか。

富士食堂の料理長を務めた元帝国ホテル料理長の村上信夫さん(故人)らが導き出した答えの一つが、当時は「味が落ちる」とされた冷凍食品の活用だ。日本冷蔵(現ニチレイ)の協力で野菜の冷凍なども取り入れた。輸送効率化のため、食材は集中管理する拠点にあらかじめ保存しておいて食堂に届けた。

洋食文化が広まるきっかけに

いま以上に「レシピは門外不出」の時代にあって、ホテルの宴会料理などが共有された。鈴木さんはここでポタージュの作り方を覚え、店に取り入れた。当時のレシピ集には、スープやソースだけで数十種類がずらりと並ぶ。

料理や調理法は持ち帰られ、洋食文化が広まるきっかけになった。のちに村上さんのもとで働いた帝国ホテルの田中健一郎・特別料理顧問(68)は「大会は日本の食に様々なレガシーをもたらした」と話す。

2020年東京大会では近年の五輪同様、大会組織委員会から委託を受けたケータリング業者が選手村食堂の運営や人材の手配、メニューの考案などを担う。

核となるのは1日最大4万5千食を想定するメインダイニング。1階と2階に分けて計約4500席を配置し、各国の料理を提供する。イスラム教の戒律に沿ったハラル食にも対応する。被災地などの特産物を使った日本食を出すカジュアルダイニング(約400席)も併設する方向だ。

複数の大会関係者によるとメニュー数は過去大会と同規模か、やや多くなりそう。世界的な食品廃棄ロス問題に配慮し、メニューの全体計画に基づき仕入れ量を抑えつつ、「煮る」「焼く」といった調理工程を集中させるなどして無駄を減らすという。

大会の飲食メニューに助言する「アドバイザリー委員会」の座長も務める田中さんは「食の安全を確保し、選手には最高のコンディションで試合に臨んでもらうことが最優先。そのうえで日本のおもてなしや豊かさ、おいしさも伝えたい」と話す。

2016年のリオデジャネイロまで直近4大会に連続出場し、銀メダルも獲得した元競泳日本代表の松田丈志さん(34)は「五輪の食環境は大会を追うごとに良くなっている」と語る。

アテネでは痩せてしまった選手も

20歳で経験した04年アテネの選手村食堂にはアジアやギリシャ料理、洋食などがバイキング形式で並んだ。ただ和食も含めて味が合わず「あまり食べるものがなかった。サラダは新鮮でなく、米もパサパサに感じた」。決勝当日にもかかわらず、ファストフードのハンバーガーを食べて臨む代表の同僚もいた。

松田さんによれば、五輪前は半年~1年かけて体をつくり、ほぼベスト体重で選手村に入る。最も気を配るのが体重の維持だ。試合が続くと緊張から消化機能が落ちたり、多くのエネルギーを消耗したりするので体重が落ちすぎないよう食事で補う。ここが狂えば競技のパフォーマンスにも影響しかねない。

アテネでは滞在中、意図に反して痩せてしまう選手が多かったという。08年北京は米の味が日本人好みで「救われた」と松田さん。北京ダックなども振る舞われて好評だった。ご当地の料理は味が良く総じて人気で、12年ロンドンではローストビーフが出され、リオではブラジルが輸出生産大国のコーヒーに選手の列ができていた。

近年の大会では、選手村でピーク時の30分間に提供する食事は1万食に上る。24時間営業で5千席規模を持つメイン食堂では、各国の料理を並べたバイキング形式が定着している。食堂内は概して広く、選手間でどこにおいしい料理が置いてあるか教え合うなど「たわいない話を含め、リラックスして仲間とコミュニケーションを図る場になっていた」(松田さん)。

日本スポーツ振興センター(JSC)は米国などにならい、ロンドンからは選手村とは別に日本食を提供するサポート拠点を設けている。さらにリオでは、日本オリンピック委員会(JOC)が味の素の協力を得て選手村から徒歩3分の場所に別の拠点も置いた。日本の調味料などを用いた鍋物やおにぎりなどが出た。

従来は選手が個々にパック入りのご飯を持ち込むなどしていた。和食をしっかり取れる拠点の存在は大きく、「体重のコントロールがしやすくなった」。松田さんの場合、アテネや北京のころはほぼ全ての食事を選手村で済ませたが、リオでは6割にとどめて残りは拠点を活用するなどした。

選手並ばせず、味や種類を豊富に

五輪を4度経験した身として、20年大会の選手村にはどんな食事を期待するのだろうか。

一つは運営面で「なるべく並ばない」工夫だ。試合、練習のスケジュールは選手ごとに細かく決められており、食事で並ぶこと自体がストレスになる。食事全体の質が低ければ、味の良い料理に選手が集中して行列ができがちだ。

「おいしい」の感覚は食文化によって異なる。「例えば肉料理では日本人は軟らかく脂身のあるものを好みがちだが、海外では硬くて赤身の肉が好まれる。日本の食のレベルは高いが、ひとりよがりにならずに味や種類で多様性を意識してほしい」と指摘する。

松田丈志
 1984年生まれ。宮崎県延岡市出身。4歳から地元の東海スイミングクラブで水泳を始める。2008年北京、12年ロンドン五輪の200メートルバタフライで連続銅メダル。ロンドンでは400メートルメドレーリレーで北島康介さんらとともに銀メダルを獲得した。16年リオデジャネイロ大会でもリレー種目で銅メダルを取り、同年引退した。

(村田篤史)

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