もう一つの松田家 原爆が分けた運命
松田家4代の100年(5)
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マツダ車の有力ディーラー、広島マツダ(広島市)の会長兼最高経営責任者(CEO)である松田哲也(50)は、小学校3~4年生の頃、先生から何気なく尋ねられたことをうっすら覚えている。
「これからマツダはどうなるの」
【前回記事】ロータリーエンジンに懸けた夢 3代目の失意
「松田家」の一員である責任
ちょうど、オイルショック後の業績不振の責任を取る形で当時の東洋工業(1984年にマツダに社名変更)社長、松田耕平(1922~2002年)が代...
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新幹線で夜間に広島駅を通過する時、照明に浮かび上がる広島市民球場の臨場感に心奪われた人も多いだろう。常勝球団「広島東洋カープ」の東洋の名は、地元自動車メーカー・マツダの旧社名に由来する。同社の創業家、松田家4代にわたる広島人経営者の波瀾(はらん)万丈の人生を追う。
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