2019年6月17日(月)

MAZDA誕生 出戻り2代目の才覚
松田家4代の100年(3)

松田家4代の100年
2019/6/9 2:02 (2019/6/12 2:00更新)
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日本経済新聞 電子版
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「本当に野球が好きでしたね。カープの試合があると、仕事中でも片方の耳にイヤホンをしてずっと聴いている。部下の方が話しかけても上の空で『えっ、なんだ』と必ず聞き返していました」

東洋工業(現マツダ)の2代目社長、松田恒次(1895~1970年)の長女、本原幸(79)は父の思い出をこう語る。家では仕事の話は一切せず、寡黙で厳格な印象が強い恒次だったが、時折垣間見た経営者像はこんな愛嬌(あいきょう)のあるものだった。

【前回記事】マツダ初代の波乱人生 「一夜工場」で大もうけ

■社運かけたロータリーエンジン

ロータリーエンジン開発の提携交渉のためドイツへ旅立つ恒次一行(1960年)=「松田恒次追想録」から

ロータリーエンジン開発の提携交渉のためドイツへ旅立つ恒次一行(1960年)=「松田恒次追想録」から

「マツダのことは昔も今もまったく分かりません」と繰り返す幸だが、それでも彼女は、父と会社にとって歴史的な意味を持つ出来事の目撃者なのである。

1960年9月30日、東洋工業社長だった恒次はドイツの工学博士フェリックス・バンケルが考案したロータリーエンジンの共同開発を目指し…

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