マツダ初代の波乱人生 「一夜工場」で大もうけ
松田家4代の100年(2)
(更新) [有料会員限定]
広島東洋カープ(広島市)社長兼オーナーの松田元(68)は昨年春、長年通った理容店の閉店を知り、落胆した。店主は高齢で手が震え、仕事が続けられなくなったと理由を説明した。実際、松田もヒゲそりの時に耳を切られたことが何度かあった。「そんなんやからお客さんが少なくなってね。でも、他の店に行く気はせんやったからね」
【前回記事】常勝カープのドン マツダと重なる苦難と再起
15分前に爆心地にいた初代・重次郎
その理容店は松田家とは深い縁があった。1945年8月6日、広島に原爆が落とされた日、松田の曽祖父・重次郎(1875~19...
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。
残り5853文字

新幹線で夜間に広島駅を通過する時、照明に浮かび上がる広島市民球場の臨場感に心奪われた人も多いだろう。常勝球団「広島東洋カープ」の東洋の名は、地元自動車メーカー・マツダの旧社名に由来する。同社の創業家、松田家4代にわたる広島人経営者の波瀾(はらん)万丈の人生を追う。
関連キーワード