2019年6月17日(月)

アシックスのシューズ進化 一足入魂、競技者の力に
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関西
2019/5/30 7:01
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世界的なスポーツ用品メーカー、アシックスの躍進はバスケットボールシューズの製造に始まった。戦争から復員後の1949年に神戸市で創業した鬼塚喜八郎氏は戦後の混乱期にあって、スポーツによる健全な青少年の育成に身をささげることを決意。日本で有数のゴム靴の産地だった神戸での奮闘は今や、国内外で多くのアスリートの活躍を支えるまでになった。

アシックスの歴史はこのバスケットボールシューズから始まった。現在は片方しか残っていないという

アシックスの歴史はこのバスケットボールシューズから始まった。現在は片方しか残っていないという

「『これは何や。わらじでバスケットをしろというのか』と床にたたきつけられて」。鬼塚(現アシックス)が50年に初めてつくったスポーツシューズのでき具合を、鬼塚氏は日本経済新聞で連載した「私の履歴書」でこう振り返る。兵庫県バスケットボール協会の理事長だった松本幸雄氏に一喝されたのだった。

■吸盤をヒントに

松本氏の勧めで手がけ始めたバスケシューズ。室内で履く靴が少なかった当時、製造が最も難しいとされていたが、鬼塚氏は「最初に高いハードルを越えられれば、その後もどんどん越えられる」と考えた。

靴づくりの素人にとって頼みは製造委託先。そんなものは売れないと誰にも相手にされないなか、神戸・長田の吉川ゴム工業所の吉川寅一社長だけが手を差し伸べてくれた。寅一の名は後の「オニツカタイガー」ブランドの誕生につながる。

松本氏に一蹴された試作品は右も左もないシューズで、靴底の滑りやすさも難点だった。急発進や急停止に対応できる靴底のデザインはある日の夕食で目にした酢だこの吸盤にヒントを得た。松本氏の紹介もあり新商品は全国に広まった。

鬼塚氏がその後、開発に没頭したのがマラソンシューズだった。当時の日本マラソン界は地下足袋のような「金栗たび」が主流で、走者はマメに悩んでいた。名ランナーの君原健二選手らの意見を聞き、足裏の炎症を抑える風通しのいいシューズ「マジックランナー」を60年に完成させた。

60年発売のマラソンシューズ「マジックランナー」

60年発売のマラソンシューズ「マジックランナー」

だが、そこへ「はだし」の男が現れる。60年のローマ五輪でマラソン金メダリスト、エチオピアのアベベ選手だ。「はだしがはやっては靴屋はあがったりだ」。鬼塚氏は翌年に大会で来日したアベベ選手の元に押しかけ、「世界一軽い」シューズの開発を約束し、提供するという熱の入れようだった。

イメージを左右するデザインにもこだわった。今ではおなじみの「アシックスストライプ」が生まれたのは66年。それまで五輪ごとに替えていた絵柄を、世界展開を意識してブランドに昇華させた。「選手が走っていてもそれだと分かる視認性と、足をフィットさせる機能性を兼ね備えている」(アシックススポーツミュージアム・アーカイブ部の福井良守担当部長)

今ではおなじみの「アシックスストライプ」が生まれたのは66年

今ではおなじみの「アシックスストライプ」が生まれたのは66年

■「9秒98」支える

株式会社「アシックス」となった77年に発売したジョギングシューズ「モントリオール2」は同社の飛躍を支えた。米国で起こった有酸素運動ブームも追い風に、競技者に限らず一般の人にも親しまれるメーカーへの大きな一歩となった。

77年発売のジョギングシューズ「モントリオール2」は一般の人にも親しまれる商品に

77年発売のジョギングシューズ「モントリオール2」は一般の人にも親しまれる商品に

時は流れて2017年。陸上100メートルで9秒98の日本記録をたたき出した桐生祥秀選手のシューズは軽さに加え、高い強度と弾力性を誇る。東レと共同開発した特殊素材を使い、素足で履く桐生選手の要望に応えた。従来は人工皮革と繊維材を張り合わせたもので、3要素の実現には限界があった。

桐生選手の日本記録を支えたシューズは軽さに加え、高い強度と弾力性を兼ね備える

桐生選手の日本記録を支えたシューズは軽さに加え、高い強度と弾力性を兼ね備える

商品化に当たっては「同じ製品を複数つくれる製造安定性も重要で、すべてを満たすのは容易でなかった」とフットウエア機能開発チームの谷口憲彦マネジャーは語る。スポーツを愛する多くの人に愛される商品づくりに終わりはない。

(小嶋誠治)

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