再建の宿願 刻む相輪(古今東西万博考)
1970年・大阪 東大寺の七重塔再現

関西タイムライン
2019/5/28 7:00
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奈良時代の都に高さ100メートルとも70メートルともいわれる巨大な塔があった。東大寺に配された東塔・西塔の2つの七重塔だ。平城京は日本人だけでなく唐人、新羅人、ペルシャ人らもいた国際都市だったが、見上げるような七重塔は外国人を驚かせたに違いない。ただ、両塔とも平安時代に焼失。東塔は鎌倉時代に再建されたが14世紀に焼け、その後の再建はかなわなかった。

大阪万博「古河パビリオン」の七重塔先端の相輪。奥に見えるのが大仏殿(奈良市の東大寺)

大阪万博「古河パビリオン」の七重塔先端の相輪。奥に見えるのが大仏殿(奈良市の東大寺)

この七重塔を1970年の大阪万博で再現したのが古河電気工業富士通などを中核とする古河グループだ。古河パビリオンに高さ86メートルのレプリカをつくり、困難を克服し夢の事業を成し遂げた古代人の英知をたたえた。古河グループはパビリオンのコンセプトを「古代の夢と現代の夢」とし、七重塔の入り口で来場者を迎え"コンピュートピア"と名付けた未来へ導いた。

"コンピュートピア"とは「コンピューターによって実現される便利で楽しい世界」(当時のパンフレット)。そこではキャッシュレス・ショッピング、コンピューターとの囲碁対決、テレビ電話といった技術が来場者の目を引いた。今ではどれも珍しくないが、当時としては画期的だった。七重塔効果もあり古河パビリオンにはいつも長蛇の列ができていたという。

万博の閉会後、七重塔は解体されたが、塔の先端の相輪だけは東大寺大仏殿東側の敷地に移された。相輪の案内板には「七重塔が大地に涌出(ゆうしゅつ)する日を宿願とする」と刻まれている。再建について東大寺は「まず東塔院跡の基壇調査を進め、史跡として整備する。その後将来の東塔再建に向けて努力したい」(森本公穣庶務執事)と話している。古代の夢であった七重塔は現在の夢でもある。(浜部貴司)

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