2019年7月18日(木)

幻の「南大阪市」 昭和の大合併、ドラマの跡
とことん調査隊

関西タイムライン
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関西
2019/5/28 7:01
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大阪府南東部に位置する羽曳野(はびきの)市は今年、市制施行から60年を迎えた。市名とゆかりがある古墳を含む「百舌鳥(もず)・古市古墳群」は世界文化遺産に登録される見通しとなり、節目の年に花を添える形となった。注目を浴びる同市が、過去に1日だけ「南大阪市」というシンプルな名称だったことはあまり知られていない。府内でも難読地名の一つとされる羽曳野市に何があったのか。

結論から言うと、南大阪市が存在したのは羽曳野市が誕生した日と同じ1959年(昭和34年)1月15日。前身の「南大阪町」が同日、市制施行して南大阪市となり、羽曳野市に即日改称した。

60年前の出来事だけに、当時の経緯を熟知する人も見つからない。助け舟を出してくれた市世界文化遺産推進室の高野学さん(60)は、"不思議な1日"の約4カ月前に生まれた。「ドラマチックじゃないですよ」と苦笑しつつ、付箋を貼った分厚い市史と手作りの年表をもとに答え探しの旅に付き合ってくれた。

背景には戦後、国の主導で進んだ「昭和の大合併」があった。2町4村が合併して56年にできた南大阪町もその一つ。翌57年には藤井寺町、道明寺町との合併交渉が始まったが、両町は南大阪町の財政状況の悪さなどを懸念して首を縦に振らなかった。

一方、当時は地方自治法の改正で58年9月末までに市制施行を申請すれば、人口要件を3万人以上に緩和する特例があった。対象だった南大阪町は合併協議と並行し、単独で市になる道も模索。町民公募による選考の結果、羽曳野市が新市名に選ばれた。

結果的には単独での市制施行で決着した。ここで素朴な疑問が浮かんだ。「新しい市名も決まっていたのに、どうして南大阪町から直接、羽曳野市に移行しなかったのか」

特別な事情があるかもしれない。総務省市町村課に問い合わせると、担当者から「地方自治法上、市制施行と名称変更は別々の手続きです」との答えが返ってきた。市制施行は議会の議決などを経て総務相の告示によって効力が生じるが、改名するには別途、条例をつくる必要がある。

どちらの手続きが先という規定はない。南大阪町も「羽曳野町」に改名した上で市制施行し、羽曳野市に昇格することはできた。そうしていれば南大阪市は存在していなかった。「単なる行政手続き上の問題」と言ってしまえばそれまでだが、市史には町議会などが「3町合併か、単独市制か」でギリギリまで議論を重ねた様子が記されている。南大阪市は、目指すべき街の姿を巡る関係者の苦渋の決断から生まれた遺産なのだ。

地味だけれど面白い。しかし、高野さんは「羽曳野市に改称した経緯にも注目してほしい」と話す。公募で寄せられた120余りの新市名のうち、最後に絞り込まれたのは「恵我」「陵南」を加えた3つ。いずれも古代の地名や古墳に関連がある。最終的に羽曳野が選ばれたが、高野さんは「地元の風土や歴史に心を寄せて暮らしてきた住民たちの気持ちがよく表現されていると思う」と目を細める。

調査を進めると、南大阪市は60年前のあの日以降も生き続けていた。羽曳野市と隣接する藤井寺市が市制施行した際に実施した新市名のアンケートでは「南大阪市・南河内市など」を推す回答が54件あった。実現しなかったが、泉佐野市や泉南市など3市2町の合併協議では、公募で集まった新市名約680のうち南大阪市が最も多かった。

日本地名研究所(川崎市)の菊地恒雄事務局長(75)は「自然、歴史、災害などアプローチの方法は様々だが、地名には発見を与えてくれる魅力があふれている」と話す。南大阪市もまた、戦後の日本の歩みや行政関係者のドラマが重なり合っていることを教えてくれた。(江口博文)

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