「貸し借り」が広がる社会に 文化人類学者・小川さやか氏 - 日本経済新聞
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「貸し借り」が広がる社会に 文化人類学者・小川さやか氏

令和の知をひらく(5)

ICT(情報通信技術)がもたらす社会経済の将来像は、近代以前との共通点が多い。例えばブロックチェーンによる仮想通貨は、ミクロネシアのヤップ島でお金のやりとりを記憶するための「大きすぎる石の通貨」と論理が似ていると指摘される。新時代の知を考えるには、文化人類学の蓄積が役に立つはずだ。

今の日本社会に広がっているのは、将来への不安と自己責任という考え方だ。子供は50年後を見すえて勉強に励み、大人になると老後に備える。いったい人はいつ「今」を生きるのだろうか。社会保障は整っているのに、それに頼りやすい雰囲気もない。そこから閉塞感が生まれる。

タンザニアの零細な行商人や貿易商のフィールド調査を重ねている。そこには不確実な挑戦や失敗からの再起を支える仕組みが構築されていた。

彼らの働きぶりはまったくまじめではないが、困っても何とかなっている。あすがどうなるか分からない日常の中で周囲の人々とゆるくつながり、ネットワークによってリスクを分散しているのだ。

象徴的な経験がある。ある友人に好きな女性ができた。初デートの日、私や仲間は靴や服を貸して身なりを整えさせ、ハイスペック男に仕立てた。交際に入るとばれたが、結婚にこぎ着けた。いざというときにモノを貸してくれる友人がいるなら、モノを所有しているのに等しい。そこが結婚相手として評価された。

貿易ブローカーの友人は、私が大学教員と知って「レアキャラ、ゲット!」と喜んでいた。彼のスマートフォンの連絡先には高級官僚と取引先と犯罪者が並んで入っている。カギになるのは多様性だ。ほんの小さな貸し借りでつながっていて、いざとなれば誰かが力になってくれる。

科学技術の更新が速まると、個人が培った専門性の価値は不安定になる。様々な人を相手に多様な仕事の経験を積むことが「保険」になるとみる。

タンザニアでは友人に誘われるなど「ついで」で仕事に乗り出す人が多い。求められれば事業の秘訣をすぐに教え、取引先も紹介する。手持ちの資金に見合ったビジネスで、失敗しても誰かが助けてくれて、再挑戦もできる。それは小さな「借り」であり、返済は求められない。代わりに自分に余裕ができたとき、困った誰かを助ける。

インターネットは地縁や血縁による共同体を超え、不特定多数の人々とのつながりをもたらした。そんな関係の中で、他人に親切にすると、長い目でみれば帳尻が合うという「互酬性」が生まれつつある。飲食店やサービスを星の数で評価する方法は、やがて個人にまで広がるかもしれない。

競争や挑戦は楽しいが、日本では努力主義的になりがちだ。だがそういう世界は疲れる。資本主義の中に、互酬性に基づく贈答経済が自衛的にできていくと私はみている。

(聞き手は山川公生)

おがわ・さやか 1978年愛知県生まれ。立命館大学教授。著書に「『その日暮らし』の人類学」など。

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