2019年7月24日(水)

ネットの「無」に抗う時 作家・上田岳弘氏
令和の知をひらく(2)

文化往来
2019/5/21 6:00
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世界というシステムは複雑になりすぎて、何がどうなっているのか理解しようとしてもできない。ほとんどの人がシステムの利便性を享受するだけで、その実相を知ることはできない。そう気づいたとき、私たちの心に諦めのような気分が兆してくる。

作家の上田岳弘氏

作家の上田岳弘氏

●「意識の移植」が問う倫理 脳科学者・渡辺正峰氏 令和の知をひらく(1)

今や膨大な情報がサーバー上に蓄積されている。インターネットは情報の収集効率や共有速度を格段に上げたが、それらの情報はただばらばらに私たちの前に差し出されている。大事な意見とさまつな意見の判別がつきにくく、全体として見ると何も言っていないのと等しい。ネットは巨大な「無」と同じだと、私には思える。

何が原因で目の前の現実が生じているのかを知ろうとするのが、人間という知的生命体だ。いまネットの圧倒的な知によって、私たちはこの世界のあらゆる因果関係が解明されうるような気がしている。全てはあらかじめ決まっているという感覚だ。どんな行動を起こそうとも結果は何も変わらないということになる。それが諦めの感覚を生む。

■ネットの知を手にした人類という種は「老化」しているとみる。

人の年齢は記憶の総量、すなわち触れてきた情報の総量だと私は考えるが、だとすると、ネットで大量の情報にさらされている現代人は間違いなく年をとっている。いわば人類という種が加齢しているといえる。年をとるとあらゆることにこだわりがなくなるというが、種としての人類もこだわりや執着をなくしてしまっているのではないか。

そんな状況に抗(あらが)うには、私たち一人ひとりの生きる姿勢が大事になってくるだろう。自分は何にこだわり、何が気になっているかを自問し、そこを起点に情報を探らなくてはならない。そうして初めて、私たちはサーバーに蓄積された情報に能動的にアクセスでき、自己決定権を自らの手に取り戻すことができる。

■ネットでいくら利便性が高まっても、人間には技術で代替できないものが残るという。

コンピューターが現実社会を数値化し、インターネットはその領域を拡大してきた。フェイスブックやラインなどの交流サイト(SNS)は人間関係の勘所を精緻に計算した上で、文字や写真を使った手早いコミュニケーションを可能にした。こうして他者と実際に会っているかのような感覚を得られても、人間にはそれだけでは満たされない部分がある。

ネットを使うほどに、そこからこぼれ落ちるものが逆にはっきり見えてくる。例えば「会いたい」という思いや、実際に生身の人間に会ったときに心にわき上がる感情は、ネット上のコミュニケーションでは決して得られない。どんなに技術が進歩しても、仮想化しきれない領域が残る。少し気恥ずかしいが、それが「愛」というものなのかもしれない。作家である私は、そこにとても興味がある。

(聞き手は村上由樹)

うえだ・たかひろ 1979年兵庫県生まれ。著書に「塔と重力」「ニムロッド」(芥川賞)など。今月末に「キュー」を刊行。

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