2019年6月27日(木)

青木町公園(埼玉・川口) 聖火台、鋳物の町の誇り
今昔まち話

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コラム(社会)
2019/5/18 14:00
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1964年東京五輪で使われた旧国立競技場の聖火台は今、引っ越しのまっただ中だ。復興支援の一環で、2015年から宮城県石巻市に設置されていたが、20年大会に向けた機運醸成のため、今月以降、岩手県や福島県をそれぞれ巡回する。その後、聖火台が製造された地である埼玉県川口市に入る。

青木町公園総合運動場にある聖火台(埼玉県川口市)

青木町公園総合運動場にある聖火台(埼玉県川口市)

その聖火台の"兄弟分"が、川口市の青木町公園総合運動場にひっそりと鎮座している。形は旧国立競技場のものとそっくり。それもそのはず、「いまの聖火台を作る前に、1回失敗したものなんです」と川口鋳物工業協同組合の担当者は話す。

64年の聖火台はもともと、58年のアジア大会向けに作られた。川口市の鋳物業者に依頼があったが、納期はわずか3カ月。断る人が相次ぐなか、鋳物師、鈴木万之助さんと文吾さん(いずれも故人)が手をあげた。重さ2.6トンという巨大な聖火台作りは難航。製作過程で鋳型に流し込んだ鉄が噴き出すトラブルが起き、ショックを受けた万之助さんが亡くなった。その後、文吾さんが後を継いで、不眠不休で完成させた。

公園に置かれているのは、その失敗したものだ。きれいに整えられ、鋳物の町の川口市の誇りを示すものとして、展示されてきた。

64年から市は大きく変貌した。大会当時は600以上もの鋳物業者でにぎわっていたが、今年4月1日時点で、組合に加盟しているのは118社。バブル崩壊以降の製造業の海外移転によって取引先を失い、多くの人が工場をたたんだ。

東京へのアクセスがよいことから、同市は最近、ベッドタウンとしての人気が高まる。昔を知らない住民も増えてきた。ただ、小学校の副読本には、聖火台を作るエピソードが盛り込まれており、市産業振興課の横野篤課長(48)は「新しい住民の方にも、川口市にあるもの作りの精神も知ってもらいたい」と話す。

市は20年大会でも、64年の聖火台を再利用するよう大会組織委員会に要望している。横野さんは「今でも十分使える」と強調する。20年の聖火台はトップシークレット。川口市のものが使われるのか、明らかになるのは大会本番だ。(岩村高信)

青木町公園を囲む柵にも鋳物が施されている。

青木町公園を囲む柵にも鋳物が施されている。

起源は将門の乱? 川口市の鋳物業の起源は、はっきりとは分かっていない。川口鋳物工業協同組合によると、「平将門の乱の鎮圧の軍のなかに鋳物職人がいて、平定後も住み着いた」「南宋から職人が住み着いた」などの説がある。
 「起源は分からないが、鋳物作りに適した砂や粘土があったことが背景では」と担当者は指摘する。鋳物業が本格的にこの地に広がったのが江戸時代。最大の消費地の江戸が近く、舟を使って製品を運び込むことができたことが、鋳物の町として発展する上で大きかったという。

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