上皇ご夫妻に感謝の言葉あふれる、被災地・被爆地・沖縄

社会・くらし
2019/5/1 1:00
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地震や水害などの被災地への訪問や戦争犠牲者が眠る地への慰霊の旅――。上皇さまは30年余りに及ぶ在位中、上皇后さまとともに精力的に各地を訪ね、象徴天皇として国民の悲しみに寄り添われた。「どんなに救われたか」「本当にお疲れさまでした」。ご高齢になられてからも強い気持ちで国民と向き合い続けたお二人に、交流のあった人々からは感謝の言葉があふれた。

●東北被災地

 「上皇ご夫妻がどん底から救ってくださった」。東日本大震災で被災した岩手県大槌町のホテルを再建した千代川茂さん(67)は今年3月、テラスに石碑を建てた。「平成の架け橋」と名付け、以前宿泊されたご夫妻への感謝と震災犠牲者の鎮魂の思いを託した。

千代川さんは震災犠牲者への鎮魂と上皇ご夫妻への感謝を込めて碑を建てた(29日、岩手県大槌町)

千代川さんは震災犠牲者への鎮魂と上皇ご夫妻への感謝を込めて碑を建てた(29日、岩手県大槌町)

ご夫妻は1997年秋、三陸海岸沿いに立つホテルを訪れ、岩場に咲くハマギクを観賞された。それから14年後の2011年3月、津波がホテルを襲った。社長だった兄の山崎龍太郎さん(当時63)を失い、多額の債務とがれきと化した建屋を前に、千代川さんは廃業も考えたという。

しかし、震災から半年後に宮内庁が公開した写真を見て前を向く決意をした。ご夫妻と皇居に咲く花が写っていた。亡くなった兄が献上したハマギクの種が時を経て真っ白な美しい花を咲かせていた。「花言葉は『逆境に立ち向かう』。兄のメッセージをご夫妻がつないでくださった」

13年に「三陸花ホテルはまぎく」と改名し営業を再開したホテルを、ご夫妻は16年に再び訪問された。「頑張りましたね」。上皇后さまの言葉に涙がこみ上げた。今年3月には三陸鉄道「リアス線」が開通し例年の倍の客でにぎわう。千代川さんは「町は変わり平成が過去になっても、ご夫妻が寄り添われた被災地の記憶をハマギクとともにつないでいく」と誓う。

東京電力福島第1原子力発電所事故で、福島県いわき市で避難生活を続ける田子島屋邦子さん(63)は18年、同市を訪れた上皇さまから「どういうところが一番苦労されましたか」と尋ねられた。

看護師として勤務していた特別養護老人ホームの入居者の避難や仮設住宅の見回り活動などを説明した。「ご多忙でお疲れのはずなのに、一つ一つのことに耳を傾けてくださり、心から励まされた」。故郷の大熊町に帰還する見通しは立っていないが、田子島屋さんは令和になっても前を向いて生きていくことがご夫妻との「約束」だと考えている。

●被爆地

 上皇さまは在位中、戦没者の慰霊を天皇の重要な役割の一つと位置づけられた。戦後50年の1995年には長崎、広島、沖縄を訪れ、被爆者らと言葉を交わされた。

上皇ご夫妻が訪問した時の写真を手に話す村田さん(4月22日、広島市)

上皇ご夫妻が訪問した時の写真を手に話す村田さん(4月22日、広島市)

上皇ご夫妻は2014年12月、広島市安芸区の原爆養護ホーム「矢野おりづる園」を訪問された。案内役を務めた同園参事の村田伸夫さん(69)は「戦争の被害者である市民に親身に寄り添う姿は30年間一貫されていた。退位にはさみしさもあるが、広島への思いは今後もお変わりないはずだ」と語る。

ご夫妻は面会した入所者10人に「体調はどうですか」「被爆の影響は」などと話しかけられた。上皇さまは腰をかがめて入所者に顔を近づけ、上皇后さまは膝をついて目線を合わせ、ゆっくりとうなずきながら話を聞かれたという。

入所者約100人の平均年齢は90歳近い。村田さんは「原爆の恐ろしさを知る世代が少なくなった。平和の尊さを共有し続けるために、今後も新天皇、新皇后両陛下には広島に足を運んでいただきたい」と話した。

上皇ご夫妻が95年と14年に2度訪問された被爆者向けの養護施設「恵の丘長崎原爆ホーム」(長崎市)。施設長の堤房代さん(68)は「丁寧にいたわりのお言葉をかけていただき、その優しさにただただ感激した」と振り返る。

14年にホームの活動を説明した時のご夫妻の様子から「最初の訪問後も気にとめてくださっていたことが分かった」という。堤さんは「平成の時代はずっと被爆者への思いを大切にされ、感銘を受けてきた。新たな時代もお元気で平和への歩みを見守っていただきたい」と願っている。

●沖縄

上皇さまは皇太子時代の1975年、沖縄県を初訪問された。戦争の傷痕は深く、皇室に複雑な感情が残る中での訪問だったが、名護市の国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」も訪れ、入所者らと親しく交流された。

ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」を訪れた上皇ご夫妻(1975年7月、沖縄県名護市)=共同

ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」を訪れた上皇ご夫妻(1975年7月、沖縄県名護市)=共同

ハンセン病は予防や完治が可能な病気だが、強制隔離政策による病気への誤った認識から元患者らは差別に苦しんだ。同園自治会長の金城雅春さん(65)は「偏見や差別が強く、手を握るなんてありえなかった。(ご夫妻の訪問で)一般の人々の印象が一気に変わったと思う」と話す。感激した入所者らは沖縄の船出歌「だんじょかれよし」を涙ながらに歌い、ご夫妻を見送った。

93年に歴代天皇として初めて沖縄県を訪れた際、名護市内の公民館で金城さんらと面会された。「みなさんお元気ですか」「お変わりないですか」。代わる代わる声をかけられるご夫妻の姿に、金城さんは「ずっと気にかけてくださっていたのか」と胸を震わせた。

20分間の面会が終わりに近づいた時、同席していた1人が「だんじょかれよし」を歌い始めた。金城さんが止めようとすると、上皇さまは「いいですよ」と目を閉じて最後まで聞き入られた。

上皇さまは沖縄の歴史や文化を深く学び、伝統的な定型詩の琉歌(りゅうか)も詠まれた。75年の訪問後も沖縄愛楽園に返歌として琉歌を贈られた。その後「この歌をみんなで歌えたら」という入所者の願いを聞いた上皇さまは、上皇后さまに曲を付けることを勧められた。こうして生まれた歌「歌声の響」は今年2月の天皇陛下在位30年記念式典で披露された。

金城さんは「ご夫妻の姿がきっかけで随分と環境が良くなった。感謝の気持ちは言葉にならない。機会があればゆっくり今の状況を見に来ていただきたい」と語った。

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