光り輝く「1億円」の悲しい末路(平成のアルバム)
ふるさと創生事業

2019/4/27 6:30
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黒石市の金銀こけしのもとには双子姉妹のきんさん、ぎんさんも訪れた

黒石市の金銀こけしのもとには双子姉妹のきんさん、ぎんさんも訪れた

純金のこけしにカツオ、触れる金塊――。平成のはじめ、バブル期を象徴するかのような純金のオブジェが各地に出現した。国が市町村に1億円ずつを配った「ふるさと創生事業」。観光の目玉として金色に輝いていた街のシンボルは、やがて身売り、盗難など苦難の歴史をたどった。

「みんなの笑顔で守りたい」「純金、純金、純金こけし」――。2007年夏、明るくも切ないメロディーが青森県黒石市の街頭を駆け巡った。同市の観光シンボルだった純金こけしの売却に反対する市民らが、街宣車で自作のキャンペーンソングを流しながら走り回っていた。

同市は特産のこけしをPRしようと、ふるさと創生の1億円で1989年に純金こけしを購入。ついでに銀のこけしも作り、2体を津軽こけし館(同市)で展示した。触れられる純金として注目を集め、黒石市への誘客に一役買った。

しかし06年ごろ、財政危機を理由に市はこけしの売却を検討。「さみしい」と声を上げた市民らによる救済活動が始まった。小口の出資を集めて共同所有する「オーナーズクラブ」構想が浮上。市民やこけし館関係者はこけしの着ぐるみで訴えたり、歌を作って流したりしながらテレビにも積極的に出演。北海道から沖縄まで出資者が現れる一大ムーブメントに発展した。

ただ当時の金相場は上昇局面。共同所有するにも1億円では足りず、資金集めは困難を極めた。結局、市民の奔走むなしく純金こけしは県外に売られていった。今は金銀こけしのレプリカが2代目として鎮座する。

当時、住民運動の事務局長として先頭に立った同市の福士収蔵さん(70)は「さみしかったし残念だったが、少しでも市の財政に役立ったのならよかった」と振り返る。歌も作詞した福士さんのこけしへの愛情は人一倍だが、1億円のこけしが倍の2億円で売れたことで、自分を納得させている。

売却後、こけし館の客足は3分の1に落ち込んだ。「金のこけしがないのに入館料を取るの?」と心ない言葉をかける来場者も。同館の担当者は「こけしじゃなく、ただ金塊を見に来ていたのがよく分かった」とあきらめ顔。

ふるさと創生でさみしい思い出を残して去っていった金塊は黒石市のこけしだけではない。高知県中土佐町の純金カツオと岐阜県墨俣町(現大垣市)の純金しゃちほこの一部が、いずれも盗難の憂き目に遭った。しゃちほこは傷ついた姿で見つかったが、カツオは溶かされていたことが発覚した。金塊を購入した山梨県白根町(現南アルプス市)も黒石市同様、売却に動いたが、相場変動で約3千万円の売却損を出した。

金色に輝いていたシンボルたちは各地で珍ドラマを繰り広げ、今ではもう残っていない。1億円事業に始まった平成の地方創生も、思うに任せぬ展開が続いた。

40年までに全国自治体の半数が消滅する恐れがあるという「増田リポ-ト」が公表されたのは14年のこと。平成終盤にはふるさと納税制度による返礼品競争が激しくなり、国と地方が対立する構図も生まれた。波乱含みのまま、地方創生という難題は令和の新時代に引き継がれる。(おわり)

ふるさと創生事業 1988~89年、地域振興を目的に全国3000超の市町村に一律1億円が交付された。当時の竹下登内閣による地方創生政策で、使い道は自由。新たな地域の目玉を求め、温泉掘削など誘客のテコ入れに使う自治体が相次ぎ、村営キャバレーや日本一長い滑り台などの珍事業も乱立した。
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