東京五輪の公式映画は導かれた使命 河瀬直美監督

2007年に『殯(もがり)の森』でカンヌ国際映画祭グランプリ(審査員特別賞)を受賞するなど、世界的に高い評価を受ける映画監督の河瀬直美さん。昨年は東京2020オリンピック(五輪)大会公式映画の監督に就任したことも話題になりました。「正しい生き方なんてない」と話す河瀬さんは今年50歳。まさに人生の中央地点に立つ河瀬さんが、同世代に送るメッセージとは。オリンピックの公式映画監督を務める覚悟、そして映画を撮る「使命」について語ってくれました。
オリンピックの映画を撮るために監督をしてきた
―― 2020年の東京2020オリンピック大会公式映画監督に就任されました。河瀬作品とスポーツの祭典との取り合わせは意外だと思ったのですが。
河瀬直美さん(以下、敬称略) 記者発表の時にも同じことを言われました。でも、私はその「意外」という理由が分からなくて(笑)。私の中では、「オリンピック=国を挙げての世界の祭典」と思っていないんです。あくまでもオリンピックを、スポーツを通して生きる喜びを分かち合える祭典と捉えているところがあります。
私自身、高校時代にバスケットボール部のキャプテンとして国体に出場経験があり、アスリートの思いを少なからず分かっているつもりです。スポーツには、勝ち負けだけでなく、内包されている「何か」がある。なぜ人類がスポーツをするのか。そんな漠然としたことを私は身をもって実感しているんです。そんなスポーツの世界大会を映像化する。これはもう「このために私は映画を撮影してきたのではないか」と。このために選ばれて、映画監督をしてきたのではないかと自問したくらいです。
―― オリンピックの映画を撮るためにこれまで映画を撮ってきた、と。
河瀬 1964年の東京オリンピックでは、市川崑監督が今の私と同じ年齢でこの仕事を受けています。つまり、キャリアとしても70代の監督でなく、50歳を前にした世代。私は30年間キャリアを積んで、ちょうど50歳を迎えます。この時期にオリンピックがやって来るのは、これは「使命」なんじゃないかと思えるんです。
高校時代にバスケットボールに打ち込み、実業団や体育大学からの推薦もあったのに、私は何のつてもない映画の世界に飛び込んで。それから、自分でコツコツ撮ってきて、映画監督協会にも所属せず、まったくインディペンデントでやってきた。そこに、国を背負うオリンピックの仕事が舞い込んできた。やっぱり、なんだかここにたどり着くために、映画を撮っていたように思えて仕方ありません。
―― 何かに導かれているような感覚ですか。
河瀬 まさにそうです。30年前の私がオリンピック公式映画の監督を務めるなんて想像すらできない。そもそも、カンヌすら考えられなかった。『萌の朱雀』(97年)でカンヌ国際映画祭の新人監督賞(カメラドール)を取った時も、実は最初はオランダのロッテルダム映画祭に招待されていたんです。本来ならば、ヨーロッパの他の映画祭に出品された作品はカンヌには出られない。なのに、オランダで知り合った人からカンヌの関係者の手にフィルムが渡り、すごく感銘を受けてくれたのが出品につながった。日本の誰もが想像すらしなかったところで賞が舞い降りた。私にとって、映画を撮ることは何かに導かれているような、そんな感覚です。
―― オリンピックではどんな映画を撮るつもりですか。
河瀬 国際オリンピック委員会(IOC)からは「独自のまなざしでオリンピックを撮ってもらいたい」というリクエストがありました。単なる「記録」ならば、もうその役割はテレビが担っている。その点では、まだテレビ放送がそこまで普及していなかった前回の市川崑監督の時とは状況が違う。私がやれることは、オリンピックの記録ではなく、オリンピックを通してストーリーを紡ぐこと。つまり、映画でないといけない。逆に、それならできるな、と。私のまなざしで撮るならできると思ったんです。今はまだ選手も決まっていないので、情報を集めている段階ですが。
―― これまでの河瀬作品からは想像がつかないですが、スポーツを題材にした映画を撮ろうと考えたことはこれまでにあったのですか?
河瀬 すっごく考えていました。スポーツの映画を撮りたいと思い続けてきました。私、スポーツを見たら必ず感動して泣くんです。マラソンでも泣く、高校野球や高校サッカーなんてもう涙なしでは無理!

これからも自分の中を「形」にしたい
―― この先、何かやり遂げたいということはありますか。
河瀬 私はやっぱり自分の中身を「形」にしたい。これはずっと変わりません。あとは、人とつながりたい。これは私の出自が大きく影響していると思います。母は私を妊娠中に父と別れ、私は年老いた伯母夫婦に養女として育てられました。両親に捨てられたような感覚と、一番近しい人と一緒にいられなかったという感覚が私の中に根強くあります。誰かに必要としてもらいたいとか、自分の役割を見いだしたいというときには、自分の中で大事に持っているものをもっともっと知ってもらいたい、と願います。それが映画になれば、世界を巡り、海を越えて地球の裏側の人々ともその感覚を共有することができます。
―― もっと国境を越えて、人とつながりたいということですね。
河瀬 ただ、言語の問題や文化の違いはなかなか乗り越えられない。日本人にとって、そのハードルは高い。実は、そのニュアンスを映画『Vision』(18年)には入れ込んでいます。ジュリエット・ビノシュ演じるジャンヌがフランス語や英語で永瀬正敏さん演じる智とコミュニケーションを取ろうとするけれど、うまくいかない。でも、そこで何とか形を作って、触れ合っていく。私も言語を超えて、つながり合えるように仕事をやっていきたいな、と。それは世界へ続くいばらの道を切り開いて、道筋を作っている感覚です。道筋がある程度あれば、次世代の人は世界を舞台にもっと作品に関わることに意識を集中できるようになるのではないかと思うんです。
(取材・文 若尾礼子、撮影 西岡 潔)
映画監督。生まれ育った奈良を拠点に映画を創り続ける。一貫した「リアリティー」の追求はドキュメンタリーフィクションの域を越え、カンヌ国際映画祭を筆頭に世界各国の映画祭で受賞多数。代表作は『萌の朱雀』『殯の森』『二つ目の窓』『あん』『光』。東京2020オリンピック競技大会公式映画の監督に就任。
[日経ARIA2019年3月5日付の掲載記事を基に再構成]
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