2019年8月24日(土)

失われた50年、関西復権の条件は

平成の30年
2019/4/22 12:00
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あと1週間で平成が終わる。関西経済にとってどんな時代だったのか。データをもとに振り返り、5月から始まる「令和」の時代を展望する。

兵庫県尼崎市の大阪湾臨海部に物流施設「ロジポート尼崎」はそびえる。地上7階建て、延べ床面積は28万平方メートル超。ひっきりなしに出入りする大型トラックが大阪市内などに機械部品や日用品を運送する。

10年ほど前、この一帯を含む大阪湾岸にはパネル工場が集まり、「パネルベイ」ともてはやされていた。松下電器産業(現パナソニック)が尼崎市に3つの巨大なプラズマパネル工場を、南方にくだった堺市にはシャープが液晶パネル工場を建てた。繊維産業の衰退や阪神大震災に苦しんだ関西にとって、パネルベイは希望の光だった。

だが、輝きは瞬く間に失われる。中国や韓国メーカーとの価格競争に敗れ、両社ともに巨額赤字を計上、経営危機に陥った。パナソニックは2017年までに3工場全てを売り払い、一つがロジポート尼崎に生まれ変わった。シャープは16年に国内電機大手として初めて外資傘下に入った。

間もなく幕を閉じる平成の30年間は関西製造業の地盤沈下の歴史と重なる。2府4県の域内総生産(GRP)が国内総生産(GDP)に占める比率は、大阪で国際博覧会(万博)が開かれた1970年度の19%強がピーク。直近の2015年度は15%強に沈む。関西は「失われた30年」どころか、「失われた50年」に今なお直面する。

戦前の関西経済の主役は繊維産業だった。戦後の復興もけん引したが、政府が重化学工業の育成に重点を置くようになったほか、安価なアジア製品の流入で地位は低下。代わって台頭した、軽工業の伝統をくむ家電産業も韓国メーカーなどとの競争で次第に競争力を失った。関西の産業はコモディティー(汎用品)化の波にのまれ、衰退を繰り返してきたといえる。

「産業構造の新陳代謝が活発でなく、電機に続くけん引役を生み出せなかった」。甲南大総合研究所の稲田義久所長は指摘する。首都圏1都3県はサービスなど第3次産業が成長し、15年度のGRPは180兆円と関西の2.2倍。中部4県も関西を猛追し、製造業を含む第2次産業は既に関西を上回る。主力の自動車産業が発展の過程で価格競争力を維持したのが関西との違いだ。

もちろん、事業構造の転換が実った関西企業も多い。たとえば、1896年に創業した毛織物名門のニッケ。祖業の繊維事業が縮小する中で産業資材などに事業を多角化し、2017年11月期に29年ぶりに営業最高益を更新した。目下、医療用部材の拡大に力を注ぐ。

京都には日本電産京セラ村田製作所といった世界的なハイテク企業が集積し、電気自動車(EV)などの成長分野で存在感を示している。

関西経済が復権するためには個別の知恵や技術革新を積み重ね、大きなうねりにつなげることが不可欠だ。契機になり得るのが25年の大阪・関西万博。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに据える一大イベントに向け、ヘルスケアなどに関わる新産業を生み出せるかがカギになる。

今月5日、関西経済連合会は東南アジア7カ国と共同で、技術や人材の交流を促すプラットフォームを設立した。観光や医療・介護など5分野で企業をマッチングし、ビジネスの創出を目指す。

関経連の松本正義会長は「GDPに占める関西の比率を20%に高めたい」と唱える。政府のGDP目標を基に試算すると40兆円弱の上積みが必要で、大阪府(GRP39兆円)をもう一つ作り出す計算だ。かつての輝きを取り戻すためのハードルは高い。

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