安針塚(神奈川・横須賀) 外国人領主、江戸望む地に
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2019/5/11 14:00
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長崎県平戸市で2年前、徳川家康の外交顧問を務めた英国人、ウィリアム・アダムス(三浦按針、1564~1620年)のものとみられる人骨が見つかった。発見場所は按針の埋葬地とされる市内の公園。人骨は1590年から1620年に死亡した可能性が高く、4月に発表された鑑定結果によると、ミトコンドリアDNAからは西ヨーロッパ人に多い「ハプロタイプH1」の塩基配列も確認された。

三浦按針と妻の墓は、遺言により江戸を望む高台に立つ

三浦按針と妻の墓は、遺言により江戸を望む高台に立つ

没後400年を来年に控えて見つかった人骨は按針なのか――。注目するのは平戸市民だけではない。按針の遺言により、按針と妻、ゆきの供養塔「安針塚」が建てられた神奈川県横須賀市の人々も熱い視線を送っている。

按針は英国出身の航海士。オランダ船「リーフデ号」航海長として東洋探検船隊に参加し、1600年に台風に遭い、現在の大分県臼杵市に流れ着いた。天下統一を目指す徳川家康は造船技術や航海術に詳しい按針を重用。日本初の洋式帆船を建造するなど功績を上げ、横須賀市逸見に領地250石を与えられた。家康の死後は平戸市で貿易商として活躍し、1620年に病死した。

「我死せば、東都を一望すべき高敞(こうしょう)の地に葬るべし、さらば永く江戸を守護し、将軍家の御厚恩を泉下に報じ奉らん」

按針の遺言に従い、横須賀市の塚山公園に建てられたのが安針塚だ。「日本に領地を持った外国人は按針ただ一人。祖国で身分が低く、学校も出ていない按針は目線を低くして領民にも心を砕いた」と菩提寺である浄土寺の逸見道郎住職は語る。領民も按針を慕い、パンを焼き、ワインを造ったと伝えられている。

毎年4月8日には「三浦按針祭観桜会」が開催されており、横須賀市、平戸市、臼杵市、静岡県伊東市の4市が「ANJINプロジェクト連絡協議会」を立ち上げ、按針と家康を題材としたNHK大河ドラマの実現を求める署名活動を続けている。

横須賀市は9日、塚の下から按針の遺髪が見つかったと記された古い文献の存在を公表した。もし文献通り遺髪があり、平戸市で見つかった人骨と同一人物との鑑定が出るとすれば、歴史に新たな一ページが刻まれるかもしれない。(高岡憲人)

 塚山公園 塚山公園は京浜急行線「安針塚」駅から20分ほど坂道を上った丘の上にある。桜の名所として知られ、天気の良い日は公園内の「港の見える丘」から横須賀港やスカイツリー、房総半島が見渡せる。「かながわの景勝50選」にも選ばれている。
 按針にはスウィフトの「ガリバー旅行記」のモデルとの説もある。訪問国に唯一、日本が実名で登場し、上陸の地「ザモスキ」が三浦半島の観音崎ではないかと推測されるためだ。按針が英国に送った手紙をスウィフトが参考にした可能性があるという。
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