2019年5月21日(火)

レトロ銭湯、非日常満載 船岡温泉(もっと関西)
時の回廊

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コラム(地域)
関西
2019/4/17 11:30
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西陣織発祥の地として知られ織物業でにぎわった京都市の西陣地区。京町家が点在する一角に巨大な貴船石の石垣と、湾曲が重々しい印象を与える唐破風(はふ)の建物が現れる。船岡温泉だ。看板を見なければ神社仏閣と思う人も多いだろう。マニアの間で、東の大黒湯(東京・足立)と並び「西の横綱」と称される銭湯だ。

(上から時計回りに)脱衣場と浴室を結ぶ渡り廊下に施された鮮やかなマジョリカタイル、脱衣場の天井に飾られた鞍馬天狗と牛若丸の彫刻、透かし彫りの欄間

(上から時計回りに)脱衣場と浴室を結ぶ渡り廊下に施された鮮やかなマジョリカタイル、脱衣場の天井に飾られた鞍馬天狗と牛若丸の彫刻、透かし彫りの欄間

■出発は料理旅館

1923年(大正12年)。鞍馬の石を扱う庭石商を営んでいた大野松之助さんが、折からの不況で庭石が売れなくなった経営危機を打開するために始めた料理旅館「船岡楼」の付属浴場が船岡温泉の出発点。

重厚な外観とは対照的に内部はレトロで豪華だ。脱衣場に入り目に飛び込むのは、部屋を取り巻くように壁にしつらえた透かし彫りの欄間と、緑がさわやかなマジョリカタイルと呼ばれる英国がルーツの装飾タイル。漆塗りのケヤキの格(ごう)天井からは彩り鮮やかな鞍馬天狗と牛若丸の彫刻が来客を見下ろす。男湯と女湯の仕切り壁の欄間は2代目、伍一郎さんが上海事変に出兵した際の経験を題材に描いたものだ。

圧巻は脱衣場から浴場に至る通路。壁一面にマジョリカタイルが貼られ、窓の外にはコイが泳ぐ池と石橋の欄干が見える。

「京都の銭湯は第2次世界大戦で空襲を受けず、昭和初期の古い建物が残っている」というのは、京都市在住のフリーライターで銭湯コラムニストの林宏樹さん。「船岡温泉のように高価なマジョリカタイルをふんだんに使っている現役の銭湯は例がない。京都の銭湯文化を発信できる貴重な存在」と評価する。

大正時代に料理旅館の付属浴場として営業を開始した「船岡温泉」

大正時代に料理旅館の付属浴場として営業を開始した「船岡温泉」

こうした内装や外観は大正の開業時からあったものではない。京都府立大学大学院教授(住居史・建築史学)の大場修さんは「開業当初は今より簡素だった。唐破風を設けたり、装飾を加えたりしたのは昭和以降。旅館の湯治客や銭湯の客を呼ぶため内部に非日常感を出し、話題性を持たせたのでは」とみる。

■最初の電気風呂

飛躍したのが32年(昭和7年)。伍一郎さんが京都市内になかった「温泉」の名称を得ようと、銭湯では第1号の電気風呂を設置、翌年「特殊船岡温泉」の許可を国から得た。浴場も含めマジョリカタイルをふんだんに張り巡らせた改築をしたのもこの頃だ。

2003年(平成15年)、同温泉の脱衣場や浴室などが国の登録有形文化財(建造物)に指定された。その際、調査などにあたった京都市文化財保護課主任の石川祐一さんは「確認できた限りでは唐破風のついた銭湯は京都市では船岡が一番古い。32年の改築では浴室を当時の銭湯では珍しい鉄筋コンクリート造りにしている」と話す。一部欄間は江戸後期から昭和初期に大阪・泉州の社寺などの彫刻で活躍した一門の堺彫又に発注したという。

58年(昭和33年)、現当主の大野義男さんが3代目を継ぐと、以後ほぼ10年おきに改築を加えた。約25年前には年中無休にした。コスト節減のため、家族4人の経営を続けるが義男さんも85歳。負担は少なくない。

「週に1日休んでいた時、外国からのお客さんが残念そうに帰って行ったのを見て、気の毒に思い休みをなくした。『とても良かった』と喜んでくれる外国からのお客さんらの声が励みになっている」と義男さん。家業への誇りと愛情が船岡温泉を支えている。

文 大阪地方部 野間清尚

写真 大岡敦

《交通・ガイド》所在地は京都市北区紫野南船岡町82の1。地下鉄鞍馬口駅から徒歩約20分。年中無休。営業時間は午後3時~午前1時、日曜日は午前8時~午前1時。露天風呂、サウナ、電気風呂、薬風呂なども備える。日替わりで男湯、女湯を入れ替える。京町家を改装した船岡温泉直営のゲストハウスが同温泉から徒歩3分ほどの所にある。

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