「分厚い」テレビの向こう側(平成のアルバム)
ブラウン管

2019/4/20 6:30
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家電量販店のブラウン管テレビ売り場(1998年10月)

家電量販店のブラウン管テレビ売り場(1998年10月)

「ブラウン管の向こう側、かっこつけた騎兵隊が~」。平成が幕を開けた1989年、ザ・ブルーハーツのボーカル、甲本ヒロトは名曲「青空」をこう歌い出した。平成末期、名古屋市の小学5年生の男子が父親に聞いた。「ねえパパ、ブラウン管ってなに?」

かつてのテレビは今みたいに薄くなかった。21型で奥行きは50センチほど。重さは20キロを超え、かなりの存在感だった。邪魔にも思えた画面の後ろ部分が「ブラウン管」で、中は大きな真空管。構造上、画面も当初は四隅から中央にかけて膨らむ球形の丸みを帯びていた。

平成前半から中盤にかけて一人暮らしを経験した人は、ブラウン管テレビにビデオデッキが内蔵された「テレビデオ」も身近だっただろう。かつては任天堂の人気家庭用テレビゲーム機「スーパーファミコン」と一体型のブラウン管テレビも存在した。パソコンのモニターも当然ブラウン管。98年にアップルが売り出し、復活の第一歩を刻んだ「iMac」もブラウン管ならではの丸っこいデザインが魅力のひとつだった。

しかし、90年代半ばに液晶やプラズマなどの次世代ディスプレーが登場。2000年代になると技術改良や低価格化が進み、重くて邪魔なブラウン管はモニター画面の座を奪われる。国内出荷金額は03年に薄型テレビに逆転され、大手電機各社は次々に国内生産から撤退。それでも使い続けていた家庭も、11年のアナログ放送終了でほとんどが切り替わった。

これほど急激にテレビが薄くなるとは、昭和から続く国民的人気アニメ「サザエさん」も想定外だっただろう。新元号「令和」が発表された後の現在も、磯野家の茶の間に鎮座し続けるのは大きなブラウン管テレビだ。制作するエイケン(東京・荒川)の田中洋一統括部長は「町のでんき屋さんに液晶テレビを描いたことはあるけど、お茶の間は薄い液晶だと温かみのない寂しい絵になっちゃうから」と、令和になってもブラウン管を描き続ける方針。ただ、映りの悪いテレビをカツオがたたいて直したり、チャンネルを回すのを家族で争ったりする場面は「最近はそういうことしないので、描かないようにしている」。

ブラウン管が何かと尋ねた名古屋市の男子に、父親は「分厚いテレビだよ」と答えた。男児はイメージが浮かばなかったようだが、ブラウン管という単語自体は実は耳にしていた。シンガー・ソングライター、あいみょんの16年のメジャーデビュー曲「生きていたんだよな」。歌詞に「泣いてしまったんだ 何にも知らないブラウン管の外側で」という一節がある。平成の最初と終盤のヒット曲に登場したブラウン管。彼我の境界を意味する言葉としては、確かに液晶よりは歌詞になじみそうだ。

ブラウン管 辞書などによると、「真空のガラス管中で電子ビームを照射し、外部からの信号でその方向を変化させて図像を表示する装置」。名前は発明者であるドイツのブラウン博士から。英語で「cathode-ray tube」(CRT)と表記し、動画投稿サイト「YouTube」のTubeももとはブラウン管が由来。かつてはテレビの代名詞でもあったが、重すぎて40型以上の大画面化は困難だった。
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