シカゴ・ブルズ時代に2度の3ピート(3連覇)を達成するなど、選手としての名声をほしいままにした元プロバスケットボール(NBA)のマイケル・ジョーダン(現シャーロット・ホーネッツオーナー)。先日も「ジ・アスレチック」というネットメディアが現役のNBA選手にアンケートをしたところ、「史上最高の選手は誰か?」という質問に対し、回答した122選手のうち73%がジョーダンと答えたそう。レブロン・ジェームズ(レイカーズ)が2位に入ったが、得票率は11.9%で遠く及ばなかった。
そのジョーダンが高校2年生のとき、高校の代表チーム(15人)から漏れたというのは有名な話。その下のジュニアチームのメンバーに入ったが、悔しさのあまり自宅の部屋に閉じこもって嗚咽(おえつ)を漏らした。
「あれは、自信を砕かれた」
もっとも、その経験が何をもたらしたのか。後に本人がこう述懐している。
「練習に疲れ、もうやめようって思うとき、目を閉じる。そして、ロッカーに張り出されたリストに自分の名前がないことを思い出す。そうすると再び立ち上がることができるんだ」
■「笑われてきたことを常に達成してきた」
イチローにも過去、同じような屈辱がある。これまで折に触れて、ときに柔和な表情で、ときに厳しい顔つきで、振り返った。
2016年6月15日。サンディエゴで行われたデーゲームの最終打席で、日米通算ながらピート・ローズが持つメジャー通算最多安打記録(4256安打)を更新すると、試合後にふと、こんな話を始めた。
「僕は子供のころから、人に笑われてきたことを常に達成してきている自負がある」
遠い昔の記憶。しかし、決して消えない。
「小学生のころ、毎日野球を練習していると、近所の人から『あいつ、プロ野球選手にでもなるつもりか?』っていつも笑われていた」
それは、少年だったイチローの心を傷つけた。
「悔しい思いをしましたよ」
ただ、嘲笑された野球少年はやがて、高校では甲子園大会に出場し、3年生の秋にはオリックス・ブルーウェーブからドラフト4位で指名された。プロ野球選手になったのである。
もっとも、そのレベルに達してなお、疑われた。イチローによれば、「(1991年の)ドラフトの前日」にこんなことがあったという。
明かしたのは前年に前人未到の10年連続200安打を達成し、メジャー11年目のキャンプ初日を迎えた日のことだった。
「親戚のおばちゃんに、『こんな世界では絶対お前は無理だ』って言われて、最初ね。入るときに。そのことはちょっと思い出しますね」
子供のころからの夢がついにかなう――。そんな時に冷水を浴びせられた。
「従兄弟の結婚式で会ったんだけど。そのことは時々思い出します。確率の問題を言ってましたね。やっていける人は少ない、って話ですけど。そのおばちゃんも、今どうしてるか知らないですけど、いまだにそうであってほしいな、というのはありますよね」
今となってはどこか感謝の言葉にも聞こえるが、イチローはそのおばちゃんの予想に反し、プロ入り3年目の94年に210安打を放ち、シーズン最多安打記録を更新する。そして、その年を含め、7年連続首位打者も獲得するなど、唯一無二の存在となっていった。
2019年3月21日、午後11時55分から始まり、日をまたいで、午前1時20分頃まで続いた引退記者会見。テレビで生中継もされたので、深夜とはいえ多くの人が見たようだが、おそらく、ああいった形でイチロ
9月14日午後5時49分、ホームの白いユニホームをまとったイチローが一塁側のダグアウトから姿を見せると、球場全体が大きな歓声に包まれた。
2分後、ダグアウトに控えていたチームメイトらが全員出てきて、
ユニホームのパンツ、紺のアンダーシャツ姿のイチロー(マリナーズ会長付特別補佐)が、グローブを持ってフィールドに出てくるのは通常、午後1時半すぎ。客席には人ひとりおらず、売店の店員らがぽつりぽつりと姿