としまえん(東京都練馬区) 時代とともに変わる目玉
今昔まち話

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2019/4/13 13:34
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1926年(大正15年)に開園した遊園地「としまえん(豊島園)」の所在地は東京都練馬区向山で、豊島区ではない。なぜ、豊島園と名付けられたのか。

大正時代に開園した東京の老舗遊園地「としまえん」(東京都練馬区)

大正時代に開園した東京の老舗遊園地「としまえん」(東京都練馬区)

東京23区の北部は平安時代末期から室町時代にかけて武士団の豊島氏が支配した。豊島氏が築いた練馬城の跡地を含む広大な土地を所有する実業家の藤田好三郎が、運動と園芸を奨励するため遊園地として公開したのが豊島園の始まりだった。

設立趣意書によると、開園当時の名称は「練馬城址 豊島園」で「この地はその昔豊島左近大夫景村の居城で園の命名もその縁故にちなんだもの」と記している。

景村は鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した武将だ。その後、豊島氏は室町時代後期、江戸城を築いた名将の太田道灌に攻められて滅亡したが、500年以上前に滅んだ豊島氏の名が今も遊園地の名として親しまれている。

昭和初期の豊島園は約5万坪の敷地に運動場や野球場、プールなどを備え、園内を流れる石神井川ではボートや釣りが楽しめる総合公園的な施設だった。1936年(昭和11年)に喜劇俳優の榎本健一(エノケン)や古川緑波(ロッパ)らが映画のロケをする写真も残っている。

戦後は遊園地として発展し、若い人向けに「絶叫マシン」を次々と導入した。約40人乗りの座席が回転する「トップスピン」、丸太をかたどった車両が急上昇と急降下を繰りすローラーコースターの「サイクロン」などには長い列ができたという。

バブル期の入場者数は約400万人を記録したが、レジャーの多様化や少子化などで現在は約100万人となっている。それに伴い、最近は若い層だけでなく、ファミリー層の集客に力を入れているという。

昨年11月には輸入玩具販売のボーネルンド(東京・渋谷)がプロデュースする子供向けの屋内遊び場がオープン。面積は1000平方メートル。豊島園事業企画課の宮内靖代さんは「子供が思いっきり体を動かせる施設なので、3世代で来てほしい」と話す。大正、昭和、平成、そして令和。時代とともに豊島園も変わっていく。

(仲村宗則)

名物のプール 豊島園の名物といえばプールで1929年に完成した。当時の案内によると、入場料は大人子供ともに1人10銭、50メートルプールと「婦人用プール」があった。41年の写真には1日の入場者数が8500人を記録したとの記述がある。戦後は65年に世界初の営業用のドーナツ型「流れるプール」が完成し、各地に同種プールが普及するきっかけとなった。2010年からは営業期間外はニジマスなどが釣れる「釣り堀」として活用。初心者も楽しめる都市型釣り堀として人気を集めている。19年は5月6日まで営業。

営業期間外はプールが釣り堀になる

営業期間外はプールが釣り堀になる

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