2019年5月26日(日)

勝利のメンタリティー(山本昌邦)

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劇的に進歩した日本サッカー 私的、平成振り返り

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2019/3/29 6:30
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平成が間もなく終わろうとしている。日本サッカーが急成長を遂げたこの時代を自分の体験に引き寄せながら振り返ってみたいと思う。

昭和から平成に移り変わるころ、西暦でいうと1989年1月に自分は何をしていたかというと、全国高校サッカー選手権の会場巡りをしていた。1月6日の準々決勝、天皇陛下が崩御されて2日延期になった9日の準決勝、10日の決勝ともリクルート活動にいそしんでいた。

私が当時所属していたヤマハ発動機のサッカー部に専属のスカウトなどいなかった。個人的につながりがある高校や大学のサッカー部から選手が送り込まれ、毎年10人単位で選手を社員として採用していた。有望選手とセットで入社する選手もいたから、どうしても数が膨らむのだった。

そうやって採用された中には入社から1年、2年で選手人生にピリオドを打つ者もいた。選手を辞めても戻る職場があるから生活はしていける。サッカー部の側から見ても、戻す職場があるから「育てられなくて申し訳ない」という気があまり起こらない。終身雇用の枠の中で移籍など考えられない時代でもあった。

Jリーグ創設でサッカーを取り巻く環境は一変した=共同

Jリーグ創設でサッカーを取り巻く環境は一変した=共同

そういう環境に物足りなさを覚えた私は、小長谷喜久男監督(当時)に「大量採用はやめて、とびきりの選手を5人だけ採って大事に育てましょう」と進言した。「誰がスカウトをやる?」と聞かれ、言い出しっぺの「自分が」と答えた。それがコーチ兼スカウト業の始まりだった。小長谷監督の下で採用した選手に伊達倫央(筑波大)や東川昌典(国士舘大)、杉本雅央(順大)、中山雅史(筑波大)らがいる。

■世界基準知ったイタリアW杯

90年にイタリアで開かれたワールドカップ(W杯)を開幕から決勝まで約1カ月間、つぶさに視察させてもらったのも大きな出来事だった。毎日のように移動しては試合を見て、「全然足りてない」と世界との距離に衝撃を受けた。私の口癖である「世界基準」の原型はここでできあがったように思う。

サッカーを取り巻く環境が激変したのは93年春のJリーグ創設だった。静岡県からどこがプロリーグ参加に名乗りを上げるかとなったとき、日本リーグ(JSL)時代のライバルだった本田技研にその気はなく、ヤマハの独壇場になると思われた。そこに現れたのが清水エスパルスだった。

当時のヤマハは87-88年シーズンにJSL1部初優勝を果たすなどの強豪。ジュビロ磐田に変わっても出資企業としてクラブをがっちり支えてくれることになっていた。実態のない清水より有望なのはこちらと思っていたら、Jリーグが10クラブの発足メンバーとして選んだのは清水だった。

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