廃仏毀釈 守られた仏像 橋本関雪旧邸宅(もっと関西)
時の回廊

関西タイムライン
2019/3/27 11:30
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明治から昭和にかけて活躍した日本画家、橋本関雪。新古典主義の作品や写実的な動物画で知られるが、彼の美術・骨董コレクションについてはあまり知られていない。中でも仏像は、寺院からの散逸や海外への流出を防ぐという強い意志をもって収集した。京都市左京区の旧邸宅、白沙村荘(はくさそんそう)にその一部が残っている。

迦楼羅王像(京都市左京区の白沙村荘)

迦楼羅王像(京都市左京区の白沙村荘)

観光客でにぎわう3月下旬の「哲学の道」。関雪が寄贈した沿道の並木・関雪桜のつぼみも陽気に誘われ、ほころび始めた。この道を法然院横から北西へ約10分歩くと、風情のある日本建築や茶室を配した庭園にたどり着く。関雪が1916年(大正5年)、自宅用に造営した白沙村荘だ。園内には持仏堂と呼ばれるお堂があり、中には3体の仏像が安置されている。

■コレクション200体

重要文化財に指定されているのが地蔵尊立像だ。金の細片の截金(きりかね)が美しい木彫の仏像で高さ1メートル強。鎌倉時代の慶派の仏師の作という。もとは奈良市の秋篠寺にあったようだ。鎌倉期の聖徳太子二歳童形像は高さ80センチ弱の木彫の仏像。丸い顔と凜々(りり)しい表情が印象的。河内周辺の太子信仰のある寺院にあったという。

地蔵尊立像(京都市左京区の白沙村荘)

地蔵尊立像(京都市左京区の白沙村荘)

聖徳太子二歳童形像(京都市左京区の白沙村荘)

聖徳太子二歳童形像(京都市左京区の白沙村荘)

最も目を引くのが迦楼羅(かるら)王像だ。インド神話の架空の巨鳥、ガルダがモチーフで鳥の顔を持つ。仏法を守護する八部衆の一つ。鎌倉時代の木彫で高さ約80センチ。由緒は不明だ。3体は特別な日を除き通常は非公開。今年は関雪忌(2月26日)に開帳したほか、妻のよね忌(4月14日、今年は12、13日も)、五山送り火(8月16日)などに公開される。

関雪の仏像コレクションは約200体にのぼるという。なぜこれほど多くの仏像を収集したのだろうか。

■海外流出を防ぐ

明治以降は神仏分離令を機に廃仏毀釈が広がり寺院が衰退。仏像の多くが売りに出された。中国や欧州への渡航で海外に通じた関雪は、仏像が正当に評価されずに安値で国外流出する状況を目の当たりに。父・海関譲りの収集癖も手伝い、仏像を守りたい一心で収集に励むようになった。

3体の仏像が安置されている白沙村荘の持仏堂(京都市左京区)

3体の仏像が安置されている白沙村荘の持仏堂(京都市左京区)

大正時代発刊の仏像コレクションの図録「存古楼清秘録(ぞんころうせいひろく)」に仏像を守る意志が示されている。「散逸の餘海外に出づること有るを憂ひ(中略)収蔵採録せり」

寺院救済が仏像を助けることになるとの思いから、買値は相手の言い値やそれを上回る額が多かった。本尊は先方が売却を望んでも応じず、本尊以外の仏像や欠損したものを買った。寺院の勧進にも度々応じた。

「地域の中心にあるのが寺院。その救済は地域の記録や歴史を受け継ぐことにつながる」というのは橋本関雪記念館副館長でひ孫の橋本眞次氏。「日本の文化を守りたいという強い思いからの行動だった」と話す。

コレクションの質の高さは当時から折り紙つき。昭和の美術史家で「仏師快慶論」などの著書がある故毛利久氏は、戦後行われた「回顧展」の目録に「橋本氏のコレクションは(中略)指を屈する優作がそろっているのは偉観」と記した。

現在、関雪の仏像コレクションは数体にまで減ってしまった。戦後、多くが文化庁に買い上げられたからだ。だが、結果として約200体の大半は散逸を免れた。「持仏堂は橋本家の仏壇でもある」と眞次氏。関雪によって守られた仏像が関雪の魂を守っている。

文 大阪社会部 浜部貴司

写真 大岡敦

橋本関雪
=橋本関雪記念館提供

橋本関雪
=橋本関雪記念館提供

橋本関雪(かんせつ)》1883年(明治16年)、現在の神戸市生まれ。1903年、竹内栖鳳の画塾「竹杖会」に入門。文展で16・17・18年に特選。大正に入った頃から中国の南画に独自の感性を採り入れた新南画を開拓。「南国」「木蘭」などを描く。昭和に入ると写実的な動物画が多くなり「玄猿」「秋桜老猿」などを発表した。45年没。

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