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長谷川滋利氏「イチローが変えたメジャーの価値観」

 米大リーグ、マリナーズのイチローが21日、現役引退を表明した。オリックスやマリナーズ時代の同僚で、プライベートでも親交がある長谷川滋利氏(50)に、数々の偉業を成し遂げた希代の大打者の素顔を語ってもらった。

僕がプロ2年目にイチローがオリックスに入団してきた。高校を卒業したばかりの若者だったが、当時から素質は光るものがあった。僕が選手として意識し始めたのはその翌年のこと。調子が悪くて2軍に落ちたとき、彼もそこにいた。ウエスタンリーグで9番の僕が出塁して1番のイチローの安打で本塁に生還。何気ないワンプレーだったが、今でも2人の間で話題に挙がる思い出だ。

1994年9月、シーズン最多安打のプロ野球タイ記録を達成し、仰木監督(左)と握手する=共同

大きかった仰木監督の薫陶

3年目に「振り子打法」で210安打を放って一気にスターへの階段を駆け上がった。高校時代はそこまで注目されていなかっただけに、取り巻く環境が急激に変わっていく戸惑いもあっただろう。本人も記者会見で語っているが、この年に就任した仰木彬監督の薫陶を受けたことは彼の野球人生にとって大きかった。現在のアスレチックス監督で、マリナーズの監督でもあったボブ・メルビン監督も選手目線でイチローに合う指導者だったが、よき監督に恵まれたことは幸せなことだったに違いない。

長谷川氏はオリックスやマリナーズ時代の同僚で、プライベートでも親交がある

僕がエンゼルスからマリナーズに移籍した2002年から、お互いの距離がより近くなった気がする。佐々木主浩さんを含めて日本人が3人しかいなかったこともあったが、よく食事に出かけた。海を渡ってもイチローはイチローのまま。技術はどんどん変化していったが、まっすぐでまじめな男は何をするにも一本筋が通っていた。

食事の席で「毎年同じフォームで打ってきたわけではない」と語ったことがある。大なり小なり、自分にとっての最善を探し、体と相談してフォームを固める。その作業を続けていた。僕が感心したのは、微妙な判定で三振しても絶対に何も言わないところ。審判のジャッジが正しいときは胸を張ってベンチに帰るんだけれど、納得がいかない判定を受けたときに選手としての真価が問われる。「怒るんじゃなくて、背中で語るんですよ」。そんなことを言っていた。

球場入りしてからストレッチ、マッサージに1時間かけるルーティンは決して崩さなかったし、それをやり続けるすごさはそばで見て感じていた。食事面でのこだわりも相当なもの。よく知られているのが、毎日食べていたカレーだろう。「メジャーでそんな食生活では体が持たないだろう」と思っていたが、本人もそれはわかっていたはずで、一種の儀式的なものがあったのではないか。マリナーズのシェフはメキシコ人で脂っこいメニューが多くて僕も困ったが、イチローは弓子夫人の手作りのおにぎりをお昼によく食べていた。記者会見でも感謝を口にしていたが、内助の功も米国で活躍するには欠かせなかった。

マリナーズは彼がいて救われたことが多かったのだろう。ケン・グリフィーJr.やA・ロッド(アレックス・ロドリゲス)といったスター選手が抜けた後、それでも人気球団であり続けられたのはイチローのおかげではないか。

当時のメジャーの野球はパワー、スピードが全盛だった。だが、イチローが安打を積み重ねることで、安打ばかり狙うのも一つの野球ですよ、と伝えていった。ピート・ローズもそれに近かったけれども、米国の野球で眠っていた価値観を再び呼び起こしたという意味では彼の功績は大きい。

2004年10月、シーズン262安打を達成した=共同

スタンドにぽんぽん運ぶ打撃練習を見てもわかるように、本当ならパワーヒッターでいける。だが、イチローは最初からそれを捨てていた。試合では安打にこだわっているのに、練習ではスタンドに飛ばす。野球を神聖なものととらえているのに、練習では背面キャッチを披露して遊びを入れる。そこがイチローの魅力でもある。

控えに回った晩年の彼を尊敬

米アリゾナで会ったときは野球を本当に楽しもうとしていた。それまでは、記録を含めて「イチロー」を全うしなければいけない責任感のようなものを感じていた。移籍して求められる役割が変わって肩の荷が下りたのか、本来の姿が見受けられた。レギュラーでバリバリやるのは当たり前。選手として下降線をたどり始め、控えに回ってもしっかり仕事できるか。そこで選手としての価値がわかる。

僕は全盛期のイチローより控えに回った晩年の彼を尊敬している。絶対に手を抜かないし、量だけでなく質を高めて代打の一打にかけたり、守備で最高のパフォーマンスを出していたりしたから。そこに妥協は一切なかった。

周りから見れば孤独のように映るし、そんな雰囲気をまとっていた時期もある。ひたすら野球と向き合う人間に見えるかもしれないが、記者会見で冗舌な姿があったように、実像は結構おちゃらけるし、冗談もいってくる。面倒見もいいし、付き合いやすい人間だ。彼は僕を「シギー」とニックネームで呼ぶ。今回の開幕戦でもそんな場面があった。ちなみに、僕の方が5歳年上。それは彼なりの先輩へのリスペクトなんだと思う。

50歳まで本当にできると思っていたから、いざ引退に接してさみしさもある。彼にとって野球は全てだっただろう。頑張ってきたのは当たり前。過去のことを振り返って「お疲れさま」と声はあえてかけないでおこう。もっと未来志向で。さあ、次に何しようか。今度会う機会があったら、そんな言葉をかけてみたい。

(元マリナーズ投手)

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