2019年8月21日(水)

関西アトツギ事情 家業に磨きをかけた3人の跡取り

2019/3/22 6:00
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中小企業が集積する関西では後継者不足の問題が深刻となっている。近畿経済産業局は後継者不在による中小企業の廃業で、2025年ごろまでの10年間で累計約4兆円の域内総生産(GRP)が失われると試算する。そんな中、新機軸を打ち出して家業を立派に発展させている跡継ぎがいる。社長業に生き生きと挑むその姿は、跡継ぎ問題に悩む中小企業にとって希望の星となりそう。跡継ぎの卵たちが将来の承継に備えて奮闘する姿も追った。

ITと繊維 知のかけ算 ミツフジ3代目 三寺歩氏

西陣織の帯メーカーだった家業を、心拍数など人間の健康データを取得できる「スマート衣料」向けの繊維メーカーに"衣替え"した。ウエアラブル繊維メーカー、ミツフジ(京都府精華町)の3代目社長、三寺歩氏(42)は今、跡継ぎが新たな事業を興す「ベンチャー型事業承継」の成功例として注目を集める。

ミツフジの三寺歩社長

ミツフジの三寺歩社長

1956年創業。祖業が不振に陥ると、2代目社長の父、康廣氏は抗菌や消臭効果のある銀をメッキした繊維の販売を開始した。機能性繊維に活路を求めたが、需要を開拓できず、2011年には売り上げが全盛期から9割も減った。

倒産寸前となり、父はパナソニックやIT企業などの勤務経験があった息子の歩氏に再建を託す。歩氏は当初、繊維産業の将来性を考え、承継に二の足を踏んだ。それでも、「大学まで通えたのは会社があったおかげ。創業者の祖父に恩返ししたい」と、思い直して家業に入ることを決めた。

12年に会社の経営を手伝い始め、資金繰りや不採算事業の整理に奔走した。事業資金が足りず、自腹で合計2千万円を会社につぎ込んだ。お金を費やすにつれ「底なし沼のような恐怖を感じた」と振り返る。

苦境の中でも、前職時代に磨いてきた顧客目線を忘れない。「製品が売れないのは伝え方が悪いのかも」と、まずは取引先の声を聞くことに徹した。

14年に社長に就任したころに転機が訪れる。顧客だった大学や研究機関の関係者から、銀繊維は抗菌効果よりも電気を通す性質が注目されていることを耳にした。こうして、銀繊維を心臓の電気信号を読み取って心拍数などを測る衣料の素材にする着想を得た。

父が築いた繊維に銀をコーティングする技術に、自らの勤務経験で培ったITの知識を組み合わせた。父子の異なる知と知の融合で、スマート衣料向けの繊維を製造する先端メーカーへの変身を遂げた。

今のミツフジは、素材を生産、供給する製造業の枠にとどまりそうにない。銀繊維で取得した様々なデータを解析して顧客に売るサービス業を模索する。子供服メーカーの仏プチバトーとキムラタンの2社と組んで、銀繊維を使った子供服で赤ちゃんの心拍数などを測定し、体調の異変を保護者や保育士に通知するサービスを始める。

事業が拡大すると、社会的責任への意識が高くなった。大きなきっかけは18年の福島県川俣町での工場建設。東日本大震災の被災者と向き合う中、「市場で勝つだけでは不十分」と、銀繊維を使って社会課題の解決に貢献していこうと決意した。前職の時代から抱いていた「ITで社会をよくしたい」という志の実現が家業を継いだことでぐっと近づいた観がある。

創業は易(やす)く守成は難し――。新しく事業を興すことは難しいが、それを維持し発展させる方がさらに困難だといわれる。歩氏はいう。「親や先祖がつくってきた資産を生かせる点が、創業との違いであり、良さだと思う」。跡取りには起業にも勝る醍醐味があるのかもしれない。

(梅国典)

試練バネにヒットつかむ マックス5代目 大野範子氏

帝国データバンクが全国の約120万社を対象にした2018年の調査によると、女性社長の比率は約8%だった。割合自体はまだ少ないものの、女性社長が就任した経緯の半数は同族承継だという。息子だけが跡を取るのはかつての話で、せっけんメーカーのマックス(大阪府八尾市)5代目社長の大野範子氏(45)も娘が家業を担う時代を象徴する一人だ。

マックスの大野範子社長

マックスの大野範子社長

大学卒業後に就職した香料メーカーで営業職として活躍。1999年、当時社長だった父に「営業で得た知見を生かしてほしい」と打診され、転身を決めた。

マックスは範子氏の曽祖父が1905年に創業した長寿企業だ。学校の手洗い場向けのレモンの形をしたせっけんや中元・歳暮用のせっけんで事業を拡大してきた。バブル崩壊でギフト需要が低下し、別の稼ぎ頭の育成が急務となっていた中での家業入りだった。

入社後は新規事業のOEM(相手先ブランドによる生産)を任され、全売上高の4割を稼ぐまでに育てるなど手腕を発揮。09年に父親が体調を崩し、急きょ社長に就任した。前職で経験のあった営業以外のことは何も分からない中、必死に成長を目指した。だが、就任わずか半年で子宮頸(けい)がんを発病した。

4回の転移を繰り返し、闘病は4年も続いた。薬の副作用で肌が赤くなり、かゆみも出て、風呂でお湯をかけるとしみた。自社のせっけんを楽しみ、リラックスの場だった入浴が一転してつらい時間になった。

病を克服し、社長に復帰すると会社の方向性が見えてきた。「自分と同じ悩みを持つ人を後押しする商品をつくろう」と、敏感肌の人を対象とした無添加のボディーソープの開発を決めた。2年をかけて配合を何百回も変え、手でなでるだけで汚れが落ちるよう泡立ちのよい製品を商品化。需要をつかみ、口コミでヒット商品になった。

化粧水などの分野にも品ぞろえを拡充したほか、体臭に困っている人向けの商品も投入した。「悩み解決」を軸に事業の幅を広げた。社長就任時には悩み解決型の商品はゼロだったが、今では全体の売り上げの7割を占める。売上高も16年3月期を底に回復し、19年3月期は22億2000万円を見込む。

今は「次の100年をどうしていくか、考え抜く毎日」という。試練を乗り越えて家業を発展させた範子氏のりんとした表情は、跡取り娘が輝きを放つ時代の幕開けを予感させる。

(香月夏子)

門外漢、コメ卸の枠超え 幸南食糧2代目 川西孝彦氏

幼いころから、会社のコメに触ったこともなかった。それほど家業に背を向けていた2代目社長が今、業界に新風を吹き込んでいる。中堅コメ卸、幸南食糧(大阪府松原市)社長の川西孝彦氏(37)は食品工場の立ち上げやレトルトカップご飯の開発、すし専用米の提案など卸の枠を超えたコメの消費拡大策を次々に打ち出している。

幸南食糧の川西孝彦社長

幸南食糧の川西孝彦社長

川西家では12歳年上の兄が跡継ぎ候補で、子供のころの孝彦氏は創業者の父、修氏(72)から跡取りとしては期待されていなかった。だから、家業とは距離を置いてきた。18歳で家を出てからは家族とほぼ音信不通に。孝彦氏は「家出同然だった」と振り返る。

大学卒業後は「自分を厳しい場所に置きたい」と外資系金融機関に就職した。年齢がひと回りもふた回りも違う、融資先の中小の経営者が苦しみを赤裸々に打ち明けてきた。この経験から「父の気持ちも少しだけわかるようになった」。

ちょうどそのころ、妻を通じて母からの伝言を耳にする。「お父さんの体調が芳しくないみたい。(孝彦氏に)帰ってきてほしいって」。こうして、家業に入ることを決めた。

2006年に飛び込んだコメ卸業界の先行きは厳しい。1人当たりの年間消費量は1962年の118キロをピークに足元では54キロに半減した。「僕は創業者ではなく、ただの2代目。人の話を聞かなきゃ損」。門外漢であることを自覚し、部下の斬新なアイデアに先入観なく耳を傾けた。ほかの跡継ぎ仲間のように様々な部署を経験せずに営業一筋。「(業界の苦境を打開するための)答えは現場にある」と、小売店や生産者、消費者のもとに足を運び続けた。

周囲から謙虚に学ぶ姿勢を認めた父は入社5年目、29歳の息子に「来月から社長や」と告げた。孝彦氏は様々な声を聞いた結果、卸の枠にとどまらずにコメの消費拡大策を打ち出す必要があると判断。コメ卸では異例といえる、食品工場をつくる投資に踏み切った。

新たな事業は育ちつつある。カップ型のレトルトご飯は大手食品スーパーに次々と採用された。JA越前たけふ(福井県越前市)と連携して作ったすし専用米は全量を買い取り、付加価値品として国内外の外食店に供給する。

それでも、幸南食糧の年間売上高(250億円)のうち、新規事業の割合は1割に満たない。コメの消費拡大を目指す父子の挑戦はまだ道半ばだ。「父も色々なアイデアを出してくるし、(海外展開など)自分がやりたいこともたくさんある。ライバルというか似たもの同士というか」。言葉の端々から跡継ぎとしての自負がにじみ、社長の肩書きもすっかり板についている。

「社長業はやってみないと分からない。家業を継ぐか悩んでいる人には松下幸之助さんのように『やってみなはれ』と言いたい」。ゼロからのスタートでも立派に跡を取った2代目の助言には、やはり説得力がある。

(宮住達朗)

跡継ぎの卵たち ただいま修業中

2月中旬の週末、大阪の繁華街ミナミのビルの一角に、様々な色や柄の婦人靴が並んだ。OEM(相手先ブランドによる生産)を主に手掛ける靴メーカー4社が自社ブランドを消費者にアピールする展示会を開き、女性客や家族連れでにぎわった。

中小企業のアトツギたちが定期的に集まり、互いの新規事業や悩みについて相談し合う(大阪市)

中小企業のアトツギたちが定期的に集まり、互いの新規事業や悩みについて相談し合う(大阪市)

イベントを企画したインターナショナルシューズ(大阪市)の上田誠一郎氏(31)は現在専務だが、3代目社長の候補だ。2015年に家業に入り、ブーツやローファーを中心に自社ブランドの立ち上げに取り組んできた。

インターネットを介して販売するほか、18年には中国の展示会にも参加した。1回目は見向きもされなかったが、現地の流行を把握してデザインを変えて挑んだ2回目の出展時には受注を獲得した。

同社は1954年に上田氏の祖父が創業した。技術力が評価され、大手靴メーカーに婦人靴を供給してきた。国内の靴業界は近年、大手卸が倒産するなど事業環境は厳しい。それでも上田氏は「今が正念場だ」と前向きな姿勢を忘れず、外反母趾(ぼし)など足の悩みを抱える人向けの靴も開発していく考えだ。

「(農業に先端技術を活用する)アグリテックの企業に実証実験の場として農場を提供したら、働き手が現れると思う」。人手不足に悩む父にこう提案するのは、野菜の苗を生産する文化農場(兵庫県市川町)の後継ぎ候補、小野未花子氏(27)だ。

未花子氏はスタートアップ企業に務めながら、18年から家業にも携わる。現在準備しているのが野菜の苗を企業向けに販売する新規事業。土いじりや植物の育成がストレス軽減につながる点を訴求し、福利厚生策として売り込む。5月をめどに販売をはじめる予定だ。

文化農場はホームセンター向けに野菜の苗を販売する事業を手掛ける。販売店と協力し、売れ筋から消費者に人気のある品種を機動的に見極める工夫などで着実に事業を伸ばしてきた。だが、未花子氏は「中長期の成長に向けてまだまだやるべきことがある」とみる。

家業に入ったばかりの未花子氏は農業の専門家ではない。それでも、父の康裕氏は「新しいことに取り組むには娘のような異なる視点を持つ人材が必要だ」と期待する。

上田氏や小野氏のように将来、跡を継ぐために修業中の若者を支援する体制は十分とはいえない。こうした中、跡取り候補同士が支え合う取り組みも始まっている。

「それやると業界から反発が起きない?」「起きると思う。でもそれが脱下請けだ」――。平日の夜、大阪市内のオフィスビルの一室で、私服姿の若者たちが真剣に意見をぶつけ合う。

主に関西の中小企業の跡継ぎ候補が家業の現状や新しい取り組みについて赤裸々に話し、対話の中で気づきを発見する「壁打ち会」の一幕だ。業種も事業規模も様々で、「この補助金は使うべきだ」「海外から始めてはどうか」などと具体的な提言が飛び交う。

会は18年に発足し、月に1度ほど開催する。はや10回目を数えた。当初から参加する和装かばん製造、巽クレアティフ(大阪市)の跡継ぎ候補、高柳実氏(35)は「アトツギはアトツギからしか学べない。こういう場は貴重」と話す。「成功例が出れば、その経験を全国のアトツギたちに広げられる」と展望を描く。

「跡継ぎよ、新たなビジネスを興せ」 山野千枝氏

一般社団法人ベンチャー型事業承継(東京・千代田)代表理事の山野千枝氏は、関西で若い跡継ぎの卵たちへの支援活動を展開する先駆者だ。跡継ぎを対象にしたイベントを数多く手掛け、2018年末には若手後継者が新規事業のアイデアを磨く場としてオンラインサロンも立ち上げた。「跡継ぎは、新しいビジネスを興す可能性を秘めている」と強調する。

山野千枝氏

山野千枝氏

山野氏は「家業への不安を持ちつつも、継いだ後に新たなことに挑戦したいと考える跡継ぎは多い」とみる。ただ、メディアや銀行は現在の経営者に注目しがちで、「若い後継者の野心や危機感を発露する場は少ない」。それだけに、「跡継ぎによる新規事業への挑戦を支援する仕組みが必要」と考えている。

跡継ぎが新たなビジネスを興すには、「アンテナを高くして、異分野に関心を持つことが重要」と指摘する。「異業種の展示会やベンチャーのピッチイベントなどに参加することで新たな視点を得られることもある」。先代から受け継いだ資産と新たな視点を組み合わせることが、新ビジネスを生み出すカギを握るとしている。

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