鬼と炎 菅原道真の怨念 北野天神縁起絵巻(もっと関西)
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関西タイムライン
2019/3/20 11:30
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鮮やかな朱色で彩られた炎が紙幅いっぱい縦横に踊る。恐ろしい形相の地獄の鬼と奇怪な獣が人々を責める。中世絵巻屈指の名作「北野天神縁起絵巻 承久本」(13世紀、国宝)が京都文化博物館で展示されている。「謎が多い国宝」と呼ばれる実物を観賞できる貴重な機会だ。

国宝「北野天神縁起絵巻 承久本」第8巻(部分)=北野天満宮蔵

国宝「北野天神縁起絵巻 承久本」第8巻(部分)=北野天満宮蔵

現在出展されている第8巻は僧、道賢(日蔵)が金峯山で修行中に体験した六道巡りの様子を描く。「現代アートのようだ。人にあらがえない神威を感じさせる」と同博物館の森道彦学芸員は語る。

1月に93歳で亡くなった哲学者、梅原猛さんは、菅原道真の怨念に滅ぼされて地獄に落ちた人々をなお苦しめる炎を「道真の怒りの火であり、復讐(ふくしゅう)の火である」と分析し、これを「炎の絵巻」と言い表した。

■「情感あふれる」

第6巻までは道真の栄達と悲劇が物語られる。俊秀とうたわれ右大臣まで上りつめたものの政敵、藤原時平の讒言(ざんげん)を真に受けた醍醐天皇によって左遷。失意のうちに没するとその怨霊が京で猛威を振るい、時平や醍醐帝を相次ぎ葬り去る。

著名なのは道真が左遷先の太宰府で恩賜の衣を手に涙ぐむ場面や、眷属(けんぞく)の火雷神が宮殿を襲い人々が逃げ惑う場面。見どころについて森さんは「人物像のダイナミックで独創的な表現。背景には調度品や植物が緻密に描かれ、モチーフは情感あふれる」と解説する。

北野天神縁起は各時代に様々な画師の手で多数描かれた。その中で現存最古が承久元年(1219年)の詞書があるこの承久本で、「根本縁起」と呼ばれる。紙幅は縦50センチを超え、最大級の絵巻でもある。一時社外に流出し、堺の寺が所蔵していたが、堺代官だった石田正澄(三成の兄)の仲介によって北野天満宮に返還された来歴を持つ。

京都文化博物館で開催されている特別展では様々な神宝を公開中(京都市)

京都文化博物館で開催されている特別展では様々な神宝を公開中(京都市)

ただし誰が描き、誰が奉納したのかは不明。摂関家の九条家や、天台座主を務めた高僧、慈円が関わったとの見方があるが史料に乏しく決め手に欠く。森さんは「道真の300年忌や天満宮創建の周年、あるいは特別な出来事を受けて奉納したのでは」と推察する。

■未完成のままか

さらに謎めくのが縁起では最も大事なはずの創建の由来や御利益の物語などが、なぜか彩色されず白描(線描)のままである点だ。何らかの事情で未完成に終わったとみられている。白描でいったん完成され、後世に主要場面のみ色を塗ったとの説もあるという。

他の天神縁起絵諸本は写本が多数作られ、後世の絵画に大きな影響を与えた。それに対し承久本は人目に触れることが少なかったのか、類例がほぼない。それが神秘性をいやまし、様々な想像をかき立てる。

謎に挑んだ梅原さんは「当時、鎌倉幕府との関係を巡って摂関家と後鳥羽上皇が対立していた」と指摘し奇抜な説を唱えた。創建の由来をカットし地獄絵図を付加したのは、怨霊による死を強調するため。この絵巻には上皇を呪い殺そうとの摂関家の意図があった――。歴史を解き明かす鍵を怨念に求めた梅原史学の真骨頂だが、研究者の支持は集まっていないようだ。

都びとの怨霊への畏怖はやがて聡明(そうめい)有徳の人柄を慕う信仰へと変わり、今も篤(あつ)い崇敬を集める。学問と芸術の神様となった道真は、自らに関わる謎解き論議をにやりと笑いながら見守っていることだろう。

文 大阪・文化担当 竹内義治

写真 大岡敦

《特別展》北野天満宮に伝わる神宝を紹介する「北野天満宮 信仰と名宝」展は京都文化博物館(京都市中京区)で4月14日まで開催。現在は国宝「北野天神縁起絵巻 承久本」第8巻や白描をまとめた第9巻などが出展中。
《参考図書》梅原猛さんの論考「北野天神縁起の謎」は論集「古代幻視」の一編。文春文庫や小学館「梅原猛著作集」などで刊行されている。
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