2019年6月19日(水)

元ギャング、サイバーエージェントへ ヤンキー再生道場
ヤンキー再生道場(1)

ヤンキー再生道場
(1/3ページ)
2019/3/24 2:00 (2019/3/25 2:00更新)
保存
共有
印刷
その他

地方の不良少年・少女や不登校だった若者たちを集めて企業が欲しがる人材に育てあげるスタートアップがある。2015年に創業したハッシャダイ(東京・渋谷)だ。再教育プログラム「ヤンキーインターン」の卒業生はすでに300を超え、サイバーエージェントやソフトバンクなどで実戦力として活躍する。名だたる企業に引く手あまたの、知られざる「ヤンキー再生道場」の実態を紹介しよう。

■「変わらないかん」

2017年10月末の朝、地元の福岡市を後にした後藤竜之介(20、当時)は渋谷駅前の雑踏をかき分けるように歩き出した。初めての東京。待ち合わせに指定されたハチ公の銅像にたどりつくまでに何人もの人に道をたずねた。不安はなかった。強い思いを胸に故郷を離れたからだ。「変わりたい。いや、変わらないかん」

高校時代の後藤氏。2017年、東京・渋谷のハッシャダイを訪ねた

高校時代の後藤氏。2017年、東京・渋谷のハッシャダイを訪ねた

後藤を待っていたのはハッシャダイの「メンター」を名乗る男だった。オフィスに連れて行かれるとそのまま授業が始まった。ハッシャダイが提供する「ヤンキーインターン」だ。「ヤンキーインターン」は比喩ではなく、正式名称だ。

■参加費は無料

資格は18歳から24歳の非・大卒者。非行に走った少年少女の中で、人生を変えたいと思う者が集う。研修期間は営業が6カ月、ハッカーは1カ月だ。参加費は無料で、1日1000円の食費を提供する。ハッシャダイが用意するシェアハウスで共同生活を送って再生の道をともにする。

「ヤンキー」とはもともと米国の南北戦争当時、北軍兵士への蔑称として生まれた言葉だ。日本で不良をさす言葉として使われ始めたのは1970~80年代で、大阪が発祥と言われる。歌手、嘉門タツオの「ヤンキーの兄ちゃんの歌」がヒットして全国に広まったといわれる。

後藤氏は高校時代、福岡市でヤンキー時代を過ごした。いわゆる「カラーギャング」だった

後藤氏は高校時代、福岡市でヤンキー時代を過ごした。いわゆる「カラーギャング」だった

■福岡の有力ギャング集団

後藤もヤンキーだった。そろいの派手な色の服装で統一する、いわゆる「カラーギャング」の一員。福岡には4つの有力グループがあったが、後藤が属したのはレッドのグループ。他の色を町で見かければすぐにケンカが始まる。どちらかが立ち上がれなくなるまで殴り合う。繁華街に近い公園で30人対30人ほどのケンカになったこともある。後藤は凶器を使わず素手に徹したが、ケンカ相手のバイクにはねられて骨折したこともあった。

卒業して父親が経営する会社や、地元の営業会社で働き始めた。だが、すぐに思い始めた。「このままでいいのか」

何かしたいけど、何をしていいのか分からない。モヤモヤが募っていた時に耳にしたのがヤンキーインターンだった。

■サイバー子会社でマーケティング

カラーギャングだった後藤氏は現在、サイバーブル(東京・渋谷)でマーケティングに携わる

カラーギャングだった後藤氏は現在、サイバーブル(東京・渋谷)でマーケティングに携わる

その特徴は徹底した実践主義だ。座学はそこそこにチームに分かれて研修を受け、通信機器の訪問営業などをする。アポなしの飛び込み営業だ。成績に応じて給与も支払われる。一日に回るのは一人800軒。夜は各グループで反省会。シェアハウスに帰ると営業のロールプレイングが始まる。眠りにつくのはいつも深夜だ。

「みんなで料理を作ったり洗濯したり、たまに夜更かししたり」。高校時代とは全く雰囲気の違う仲間ができた。

それから2年――。後藤は今、サイバーエージェントの子会社で動画広告を運営するサイバーブル(東京・渋谷)で働いている。ベージュのスーツに、はやりの銀フレームの丸い眼鏡。ギャング時代の面影は全くない。仕事は動画広告のマーケティング。広告の効果があったかどうか、毎日報告される数字を見てSNSに流す広告の配信量やタイミングを決めていく。

  • 1
  • 2
  • 3
  • 次へ
保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]

日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報