2019年3月20日(水)

ゆっくり歩む牛の村 父子の二人三脚
畜産復興に新風 福島県飯舘村

大震災8年
社会
2019/3/16 6:00
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東日本大震災から8年がたった。東京電力福島第1原発事故による「全村避難」が6年間続いた福島県飯舘村。住民の帰還は道半ばで、居住率は震災前の2割に満たない。その村に、新たに肉牛の畜産農家として仲間入りした父子がいる。工場のメンテナンス業と新聞販売店勤務という、畜産とはかけ離れた仕事をしていた2人が、一時は存続すら危ぶまれた特産の「飯舘牛」ブランドを復活させようと、手探りで牛舎の運営を始めた。

「牛の村」で2018年から牛舎の経営を始めた只野章さん(左)と信斗さん親子(3月2日、福島県飯舘村)

「牛の村」で2018年から牛舎の経営を始めた只野章さん(左)と信斗さん親子(3月2日、福島県飯舘村)

「背骨が浮いてっぞ。エサ足んねえんじゃねえか」、「おかしいな。量は変えてないんだけど」。飯舘村に新たに就農し、肉用牛の繁殖農家を営むのは、只野章さん(46)とその長男、信斗さん(25)の親子だ。毎朝6時に牛舎に集まると、2人のウシ談議が始まる。体形、エサの食いつき、排せつ物の状態など、言葉をいくら交わしても結論めいたものは見えてこない。たとえば母牛の体重は、毎日同じ量のエサを与えていても子牛が飲むミルクの量で変わる。毎日が試行錯誤の連続だ。「(畜産は)答えがない仕事。牛がしゃべんなら聞いてみてえわ」。人なつっこく鼻先を押しつけてくる牛にぼやく章さんは、どこか楽しげだ。

牛の様子を確認しながらエサやりをする章さん

牛の様子を確認しながらエサやりをする章さん

飯舘村に隣接する南相馬市で、工場のメンテナンス業を営んできた章さん。震災後は被災した取引先をひたすら回る毎日で、3日間、寝ずに働いたこともあった。やがて復興工事が落ち着き始めたころ、転機はやってきた。2017年秋、知人に誘われ、ふと訪れた県家畜市場。そこで目にしたのは、農家が手塩にかけて育てた子牛に優劣の判断が下され、一瞬で値がつけられる厳しい世界だった。章さんには畜産農家自身に点数がつけられているようにも見えた。これまでの自分の仕事には無かった魅力を感じ、畜産業に飛び込む決意をした。

牛のエサを運び込む信斗さん。様々な種類の牧草や飼料を混ぜて栄養価などを調節する

牛のエサを運び込む信斗さん。様々な種類の牧草や飼料を混ぜて栄養価などを調節する

就農先として候補に挙がったのが、自宅から車で30分の飯舘村だ。17年春に避難指示が解除された同村では、休耕田で牛を放牧する実証実験が行われていたほか、再開する農家向けに交付金を出すなど、「飯舘牛」の復活に向けた動きが加速していた。後継者難でやむなく廃業する繁殖農家から牛舎を借り、母牛9頭を購入した。

早朝の柔らかな日差しのもと日なたぼっこする牛。阿武隈高地の北部に位置する村の冷え込みは厳しく、真冬は氷点下10度を下回る

早朝の柔らかな日差しのもと日なたぼっこする牛。阿武隈高地の北部に位置する村の冷え込みは厳しく、真冬は氷点下10度を下回る

章さんはメンテナンス業の傍ら、18年1月から牛舎に通い始めた。二足のわらじの生活を送るには、常に牛舎のそばにいてくれるパートナーが必要だった。そこで口説いたのが息子の信斗さんだ。新しいことにチャレンジしようという父の姿に共感した信斗さんは、順調だった新聞販売店の勤務をやめ、6月に飯舘村に移住。住まいは離ればなれの父子の、二人三脚の生活が始まった。全く畑違いの仕事を始めると聞き、最初は驚いたという信斗さんも、今では「答えを自分で作る仕事」の魅力にとりつかれた相棒だ。

只野さん父子がつけている日誌。「頭で考えず肌で覚えていった方がいい」といった先輩農家からのアドバイスもつづられていた

只野さん父子がつけている日誌。「頭で考えず肌で覚えていった方がいい」といった先輩農家からのアドバイスもつづられていた

ベテラン農家からノウハウを教わりながら、ゆっくりと少しずつ経験を積んでいる。しかし、新米には失敗がつきもの。分娩の感知センサーが母牛から外れ、子牛が生まれていたことに朝になって気づいたことがあった。「冬だったら命を落としていた」と章さんは肝を冷やした。飼っている全部の母牛から、9頭の子牛を無事に取り上げることができたのは、2人の大きな自信となった。

東京ドーム7つ分の面積の太陽光発電パネルが敷き詰められた松塚地区の田畑。地区では将来的に営農を再開するとしている

東京ドーム7つ分の面積の太陽光発電パネルが敷き詰められた松塚地区の田畑。地区では将来的に営農を再開するとしている

村の境では牛の看板が見送る

村の境では牛の看板が見送る

8年前の飯舘村には、牛の繁殖や肥育に携わる農家が240戸あった。当時は県内有数の畜産地帯だったが、これまでに戻ったのは10戸足らず。生活圏は除染され、小中学校や一部の商店も戻ったが、高齢化や営農の後継者不足にはあらがえない。かつての牧草地や田畑の多くが、太陽光発電パネルや除染廃棄物の仮置き場に姿を変えた。それでも、「飯舘は牛の村。牛が増えたら明るい話題になるでしょ」と、父子は新たな村の一員として前を向く。

只野さん父子が育てている子牛。福島第1原発事故後に途絶えていた「飯舘牛ブランド」の復活は近い

只野さん父子が育てている子牛。福島第1原発事故後に途絶えていた「飯舘牛ブランド」の復活は近い

章さんが引き受けた母牛は、飯舘牛のブランドを残すため、全村避難中も県の畜産施設で飼育されてきた牛だ。5月、その血統を受け継いだメスの子牛2頭を初めて市場に送り出す。今度は章さんと信斗さん父子の仕事が点数をつけられる番だ。「いい人に買ってもらえるといいね」と章さん。その日まで精いっぱい、愛情をこめて育てるつもりだ。

(写真部 柏原敬樹)

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