2019年8月19日(月)

「よそ者だからこそ」、東北の被災地へ移住 復興支える

2019/3/11 13:44
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 東日本大震災の被災地には今、地元出身ではない人たちが集まり、復興の歩みを支えている。外から来たからこそできること、気づける地域の魅力――。「よそ者」の視点と力を生かした奮闘が続く。

■福島の「おいしい」を東京へ

「東京で飯舘村のファンが楽しみに待ってますよ」。三廻部=みくるべ=麻衣さん(37)は今月6日、福島県飯舘村で渡辺とみ子さん(65)と向き合っていた。

かぼちゃの生産者(右)と東京で開く復興イベントについて話す三廻部さん(6日、福島県飯舘村)

かぼちゃの生産者(右)と東京で開く復興イベントについて話す三廻部さん(6日、福島県飯舘村)

渡辺さんは「いいたて雪っ娘かぼちゃ」の生産者、三廻部さんは東京都内で東北居酒屋などを運営する「トレジオン」のPR事業部部長。渡辺さんが1日店長として福島の伝統料理を振る舞うイベントが予定されており、この日はその打ち合わせだった。

献立はかぼちゃのそぼろあんかけ、大根の煮物など。名物のかぼちゃを絶やすまいと、避難先でも栽培を続けた渡辺さんは「福島を大切に思ってくれてありがたい。東京で手料理を出すなんて震災前は思いもよらなかった」という。

三廻部さんは「福島の玄関口になりたい」と、魅力ある人や場所、食べ物の発信を続ける。店の食材はほぼ東北産。生産者らを東京に招き、特別メニューを提供するイベントを年60回ほど開く。「食を通じて被災地を身近に感じてほしい。誰もが日常で復興に関われると伝えたい」

埼玉県出身。震災当時は都内で衣料品チェーンの店長をしていた。「人生で、被災地に関わらない選択肢はない」と思ったが、多忙で最初の東北訪問は1年半後。混乱期に関われなかったことを負い目に感じた。

休日の被災地通いを続け、14年に復興庁に転職した。「国が復興をどう描いているのか見たい」と考えたからだ。被災各県の中でも福島に関わる人と予算の多さに驚き、原子力災害で生じた課題の大きさを肌で感じた。

16年、福島市へ移住。震災前は縁もゆかりもなかった東北各地で、大切な知人が数え切れないほどできた。

とれたてで硬いまま食べる桃の甘さや、放射線に向き合って安全な農産物を作り続ける実直な生産者たち。「福島で暮らしたことで気付いた奥深い魅力を伝え続けたい」。東京のイベントに呼ぶ生産者をさらに開拓したり、県外の友人を招いて福島のお店を巡るツアーを組んだりとアイデアは無数に浮かんでいる。

■「よそ者だからこそ」追求

宮城県南三陸町の一般社団法人「南三陸研修センター」職員、浅野拓也さん(31)は、同町に移り住んで約5年。被災地の様子を他地域の人に知ってもらう研修を企画し、町公認のウェブメディア「南三陸なう」では町の魅力を紹介するライターとして活躍する。

浅野拓也さん(3月8日、宮城県南三陸町)

浅野拓也さん(3月8日、宮城県南三陸町)

埼玉県出身。震災直後に東京の広告制作会社に就職し、食品カタログを執筆していた。全国の農家や漁師などを取材する中で被災地を訪ね、震災前の日常を取り戻そうとする人々の姿を目の当たりにした。「絶望しているのかと想像していたけど、思った以上に皆前向きで明るかった」

ボランティアとしても東北を訪れるうち、南三陸町でボランティアの受け入れを調整する仕事に誘われ14年2月、移住した。

過去に何度も津波被害に遭いながら立ち上がる人たちのひたむきな姿を客観的に伝えることが役目だと考える。被災者の気持ちを百パーセント分かることはできない「よそ者」だからこそ、できることを追求する。

南三陸には震災を知ろうと、全国各地から訪れる人が今も絶えない。「町が一丸となって復興に向かう姿は、研修に来た企業の管理職の人の心に響きやすい」という。

地元の人が気づかない魅力にも、都会で会社勤めを経験したからこそ気づける。「現地と外の人をつなげる、通訳のような存在でありたい」

15年の国勢調査によると、南三陸町の人口減少率は全国で3番目に大きい。「この町にはまだまだ課題がたくさんある」と、復興途中で離れるつもりはない。

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