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心技体「心が足りなかった」 篠原さん五輪決勝の悔恨
柔道 篠原信一(2)

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2019/3/13 5:40
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男子柔道100キロ超級の決勝で内また透かしを決めた後、振り返って審判を見る篠原(2000年9月22日、シドニー)

男子柔道100キロ超級の決勝で内また透かしを決めた後、振り返って審判を見る篠原(2000年9月22日、シドニー)

まさかの誤審で敗れた銀メダリスト――。柔道の篠原信一(46)には悲劇のイメージがつきまとう。だが本人の受け止め方は違う。「心が弱かったから負けた」。騒然とした決勝の舞台で、彼は何を考えながら戦っていたのか。今回はスポーツ史に残る、あの試合に迫る。(前回は「誤審背負い20年 柔道の篠原さん、なぜ安曇野暮らし」

◇   ◇   ◇

現役時代も、日本代表監督に就任した後も、篠原信一のコメントはいつも簡潔で、何の愛想もなかった。記者たちは何とか少しでも長く、何か言ってくれないだろうかと悪戦苦闘しながら質問を繰り出す。そういう難敵であった。

「ドイエを投げた瞬間の感触は今も手に残っている」と語る篠原

「ドイエを投げた瞬間の感触は今も手に残っている」と語る篠原

しかし、柔道の一線を離れた現在は、当時とは全く違う。

愛犬のゴールデンレトリバーと柴犬を「うちのワンちゃんたち」と呼び、夢だった田舎暮らしをかなえるため5年かけてようやくたどり着いた安曇野(長野県)を「まるで恋するようにたどりついた場所です」と、ロマンチックに表現しながらよく話し、よく笑う。

「でも、もともと、こっちの性格ですから。人と話すのが好き、趣味は結構ありますし好奇心も旺盛。仲が良い人たちは知っていますけれどね。でも取材だけは大嫌いでしたねぇ。選手のときも監督でも。だって、調子はどうですか? 自信はありますか? 相手の研究はしていますか?と毎回毎回、同じ話ばかり聞かれるでしょう。公開取材日は横柄に答えていましたよ」

「特に、横柄にね……」と、ユーモアたっぷりにまた笑う。場の空気を和ませ、自分の立ち位置を決め、相手がよりスムーズに仕事を進行できる雰囲気をさりげなくつくる。タレント活動が違和感なく成功した理由とは、柔道で磨いた勝負勘、鋭い観察力や目配りの結果なのだろう。軽妙な空気に押され、話題をあの誤審へと移す。

「気にしないで、何でも聞いてもらってえぇですよ」

どこか躊躇(ちゅうちょ)している取材者を気遣い、そう言って椅子に座り直した。

■一本勝ちと思ったら相手に有効

2000年、初出場を果たしたオリンピック決勝は、アトランタに続き五輪連覇を狙うフランスのダビド・ドイエとの3年越しの「因縁の対戦」となった。

1997年、フランスで行われた世界選手権95キロ超級決勝で対戦した際、接戦にもかかわらず反則が与えられ準優勝となる。ホームタウンデシジョン(地元びいき)ではないかと同情が集まったが、「誰が見ても、篠原が勝ったと分かる柔道をすればいい話」と潔く敗戦を受け入れ、圧倒的な強さで勝つ柔道を求めさらに厳しい稽古に打ち込んだ。

シドニー五輪前年の99年世界選手権(バーミンガム)で史上5人目となる100キロ超級、無差別級の2冠の偉業を果たすも、この大会ドイエは欠場。シドニー決勝は、3年かけて巡ってきた真の王者決定戦である。周囲はそうあおったが、「打倒ドイエ」といった気負いは全くなかったという。

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