イチから分かる元号 最長は? 最多漢字は?

2019/3/30 6:00 (2019/4/1 15:34更新)
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5月1日の改元にあたり、「平成」に続く元号「令和」が4月1日に発表された。元号は人々の生活の中に深く根差し、しばしば歴史上の出来事や社会と結びつけられて記憶されてきた。元号とはどんなものだろう。改めて考えてみたい。

■起源は中国、かつてはベトナム、朝鮮でも

日本最初の元号は「大化」。645年、中大兄皇子らによる「大化の改新」で天皇中心の中央集権的な国家づくりが始まったころに定められた。7世紀に一時の中断期があったのを除いて「令和」まで連綿と続き、その数は248に上る。

元号は、古代中国で君主が時間をも支配するという思想のもと、紀元前140年、前漢の武帝の時代に誕生した制度だが、現在でも使用されているのは日本だけ。「本家」中国では約2千年後の清朝を最後に消滅し、西暦が使われるようになった。

■248の元号、改元ペースは平均5年半に1度

明治以降、改元は天皇の即位に伴う「代始(だいはじめ)改元」となり、天皇一代に一つの元号が定められる「一世一元」が確立した。ただ、歴史をひもとけば改元はもっと頻繁に行われている。「大化」元年(645年)から平成31年(2019年)までに使われた元号は247。平均して5年半に1度のペースで改元が繰り返されていたことになる。

改元の理由の一つが、吉兆が現れたことによる「祥瑞(しょうずい)改元」。「大化の改新」から5年後の650年、珍しい白キジが天皇に献上されたのを祝し、「白雉(はくち)」と改められた。このほか黄金が献上されると「大宝」(701年)、体を癒やす泉が見つかると「養老」(717年)と改元された。

平安以降は災害、干ばつ、疫病流行、彗星(すいせい)の出現などによる「災異改元」が多い。語呂の悪さで改元した例もある。江戸時代の「明和9年」に大火災や水害があり「迷惑年」と読めるため「安永」に変えたといわれている。

ちなみに歴代の元号の中で最も長く使われたのが「昭和」の62年。次に「明治」(43年9カ月)、室町時代の「応永」(33年10カ月)と続き、4番目に「平成」(30年3カ月)がランクインする。一方、最も短いのが「暦仁(りゃくじん)」の2カ月と14日。

■「令和」以外の出典は漢籍。漢字は73文字

「日本年号史大事典」などによれば、「大化」から「令和」まで248の年号に使用されている漢字は合計73。最も多いのが「永」(29回)で、よりよき時代が永く続くようにとの願いが込められている。その次に多いのが「元」と「天」の27回で、「治」(21回)、「応」「和」(20回)と続く。「令」は初出。

日中の元号を比較すると、中国でもツートップは日本と同じく「元」(46回)と「永」(34回)。ただ王朝交代を重ねたからか、「始」「建」「興」といった勇ましい文字が目立つのに対し、日本では中国で使われたことのない「寛」「保」「亀」といった穏やかな文字が多い。奈良時代に続いた「天平感宝」(749年)など4文字の5元号を除けば、全て漢字2文字で、重複が無い。

「平成」までの出典は77種で全て漢籍。「令和」は初めて和書である万葉集を出典とした。大部分は唐以前の古典で、最多は「書経」の36回だ。次いで「易経」27回、「文選」25回、「後漢書」24回、「漢書」21回と続き、「四書五経」と呼ばれる儒教の経書や古代中国の歴史書が多い。

過去に選に漏れても、後世に最善案として採用されるというケースも珍しくない。「平成」は幕末の「慶応」改元の際の候補の一つだった。

■戦後、法的根拠失った期間も

明治期には、旧皇室典範により「一世一元」の原則が明文化。さらに登極令によって、天皇の即位後すぐに改元するよう規定された。だが敗戦でGHQ(連合国軍総司令部)の統制下に置かれると、旧皇室典範や登極令は廃止され、新皇室典範から元号に関する規定が消失。元号は法的根拠を失った。

「昭和」が「明治」を超えて最長の年号となった昭和45年(1970年)ごろ、元号が「昭和」限りで消滅するのではないかとの危機感から、元号の法制化を求める動きが盛り上がる。その結果、79年6月に元号法が成立。「元号は、政令で定める」「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」という、わずか2項から成る短い法律だが、「一世一元」制の継続が明確に根拠付けられた。

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