リアル・繊細、刃が生む超絶 彫刻と切り絵、技巧光る2展覧会(もっと関西)
アート

2019/3/1 11:30
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種明かしされるまで本物の食べ物と見まがう立体造形。一方で通俗的な先入観を軽やかに裏切る切り絵。いずれも入念な離れ業による作品だ。金属の刃が作り出す超絶技巧を堪能できる展覧会が、大阪と神戸で開催されている。

前原冬樹の木彫「一刻:皿に秋刀魚」(2014年)

前原冬樹の木彫「一刻:皿に秋刀魚」(2014年)

■骨一本まで表現

ありふれた食べ残しにしか見えない「一刻:皿に秋刀魚」。これが皿まで含めて1本の木から彫りだした「一木造り」と聞くと、たいていの人は目をむく。本物の食べ残しなら目もくれないはずだが、むしろ彫刻だからと、うがつように見てしまう了見が、我ながら浅ましい。

大阪・天王寺のあべのハルカス美術館で開いている「驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」(4月14日まで)の一品だ。

素焼きっぽい陶器の皿に横たわるサンマ。アタマとしっぽを残してむしり取られた身から、骨が一本一本のぞいている。青魚特有の銀白色のてかりに、目をこらすと焦げ目が数カ所。皿の縁がいくつか小さく欠けているのが、かえって所帯じみてリアルだ。

皿とサンマは一本の木から彫りだした一体のもので、分離できない。一本の木材から仏像の全身を彫りだしたものを美術史で「一木造り」というが「一刻:皿に秋刀魚」も元は桜の材木一本。仏像の整然とした造形美と距離はあるものの、れっきとした一木造りだ。

作者の前原冬樹はプロボクサー、サラリーマンを経て32歳で東京芸術大学に入学した変わり種。しかも専攻が彫刻でなく油絵という異色尽くしの経歴だ。皿とサンマの身のすきまはどうやって彫刻刀を入れたのか。「ボクサーの持つ禁欲的な部分と、制約に挑みながら作品を作り込んでいく姿勢に重なる部分があるかも」と同美術館の浅川真紀・主任学芸員はみる。

安藤緑山の牙彫「パイナップル、バナナ」(清水三年坂美術館蔵)

安藤緑山の牙彫「パイナップル、バナナ」(清水三年坂美術館蔵)

明治・大正期に活躍した工芸家の安藤緑山による「パイナップル、バナナ」も展覧会の見どころの一つ。触れると痛そうなうろこ状の果皮、むき始めた皮からのぞく果肉に、果物特有の甘い香りを想像してしまう。実は象牙を彫刻して着色した作品という。

木彫より加工が難しそうな象牙で作り出すリアルさに、神がかった離れ業を感じてしまう。このほかにもキュウリやナス、トウモロコシ、ブドウといった身近な果菜の牙彫作品がずらり。 「驚異の超絶技巧!」展では彫刻以外にも、精緻な七宝や金工、漆工、刺繍(ししゅう)絵画、写真さながらのリアルな水墨画といった作品が目白押しだ。

■紙つないだ文章

一方、神戸市の神戸ファッション美術館で開かれている「息を呑(の)む繊細美 切り絵アート展」(3月24日まで)は、切り絵の最前線を11人の作家による作品群で紹介している。

蒼山日菜「Voltaire(ヴォルテール)」(部分、2009年)

蒼山日菜「Voltaire(ヴォルテール)」(部分、2009年)

切り絵といえばハサミやナイフで紙を切りだす造形作品。モノトーンで牧歌的・民芸調な作風というのが一般的な通念だ。ところがここ20年ほど、さまざまな作家が固有の彩色方法や仕組みを開発し、精緻さと豊かさを加え、概念を塗り替えつつあるという。

たとえば国内外で活躍する蒼山日菜の「ヴォルテール」。フランス啓蒙思想家の著作の一ページを抜粋した一連の文章だ。一見、筆を走らせた書状に、レース模様状の装飾的な植物のツタが絡まっているだけのように見える。

実は背景の手漉(てす)き紙とは分離した1枚の切り絵という。絡まる植物模様は、1枚の作品として独立させるためのツナギの役回りだ。実際、目をこらせば隙間に照明がつくる影さえ見える。蒼山はこの作品を微細切り出しに向くデザインカッターを使わず、ハサミだけで作った。

福井利佐「TOWER OF SUN &TARO」(2015年)

福井利佐「TOWER OF SUN &TARO」(2015年)

わずかでも力加減を過れば失敗作になりかねない。その緊張感を想像しただけで身がすくむ。「緻密な設計と慎重・入念な作業による、神ならぬ"紙業"のたまものでしょうか」(同美術館の仲井雅史学芸部長)。

福井利佐の「TOWER OF SUN & TARO」はおなじみ万博記念公園の太陽の塔のシルエットに、作者・岡本太郎のはち切れそうな表情を配した。表現したい内容が前面に出た作品で、切り絵はむしろ表現手段のひとつにとどまっている。最近の美術界での切り絵の立ち位置を知る上で参考になりそうだ。

(編集委員 岡松卓也)

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