2019年7月20日(土)

競馬実況アナ日記

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時代とともに変化 蹄音響き続けた神奈川県史

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2019/3/2 6:30
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神奈川県はかつて全都道府県で最も競馬場の多い県でした。幕末の1866年から戦時中の1942年まで開催された横浜競馬場(現在の横浜市中区根岸台)から、ナイター開催などで親しまれている川崎競馬場(川崎市川崎区)まで、時代の波に洗われて形を変えながら県内各地で蹄(てい)音は響き続けてきたのです。

川崎競馬場に近い川崎駅を通るJR東海道線の駅名をたどると、戸塚、大船、藤沢、平塚、小田原の各地に競馬場があったという記録が残っています。このうち、鎌倉郡戸塚町吉田(現在の横浜市戸塚区吉田町)に33年開場した戸塚競馬場は、たくさんの見物客を集めたそうです。現在も残る戸塚駅東口の始まりは、競馬開催時に集まる多くの観覧客に対応するためだったとする資料も残っています。

戸塚競馬場があった地域の最寄りのJR戸塚駅東口

戸塚競馬場があった地域の最寄りのJR戸塚駅東口

日本競馬史に残る大記録

さて、戸塚駅に東口がつくられた37年、日本競馬史に残る大記録が生まれます。4月29日、東京競馬場で行われた東京優駿大競走(日本ダービー)で、初めて牝馬のヒサトモが優勝したのです。牝馬による日本ダービー制覇はヒサトモのほか、43年のクリフジ、2007年のウオッカの3頭しかいません。その後、ヒサトモは多くの牝馬と同じく、繁殖牝馬として母になる道を歩みます。

ダービー制覇から9年後の46年、現役時代からヒサトモを所有していた宮崎信太郎オーナーは、農地改革のさなか、認められていた限度の40町歩(39万6680平方メートル)の用地を保有するために牧場を造りました。そこには第5子を受胎していたヒサトモと、第4子であるブリユーリボンをそれまで預けていた牧場から引き取りました。しかし、ヒサトモは急な環境の変化のためか、第5子を流産。その後も子宮内膜炎、不妊症と不幸が続きました。

戸塚競馬場は42年、戸塚駅から見て西側の戸塚区汲沢町(現在の汲沢団地あたり)へ移転します。今年2月中旬、筆者はその跡地を訪ねました。戸塚駅西口から西へ歩くと、途中で国道1号線と交差する矢沢交差点にたどりつきます。このあたりは開発が進んだようで、競馬場があった70年前の頃とは違う風景なのだろうと思いながらこの道路を渡ります。寒い時期とはいえ、西に沈む夕日を眺めながら歩いていくと、額に汗がにじんできます。

3つ目の信号「県営汲沢団地入口」で左に曲がり、新しそうなマンションを右手に見ながら、しばらく歩きます。そして戸塚駅を出て30分ほどたった頃、汲沢団地にたどり着きました。団地というと、整理された区画に整然と並ぶ同じ形の建物、棟の番号を見なければ迷子になってしまいそうな光景を想像しますが、汲沢はいささか趣が違います。東西2つの区画に並ぶ建物は、区画ごとに違う向きで建てられており、その間を通る道路はくねくねとしています。

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