2019年5月20日(月)

東京よりも世界に目を 共英製鋼社長 広冨靖以さん(もっと関西)
私のかんさい

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2019/2/26 11:30
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■建設用鋼材などの共英製鋼の社長、広冨靖以さん(64)は広島県生まれ。ただ、子供のころから関西とかかわりがあった。

 ひろとみ・やすゆき 1954年広島県生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業、大和銀行(現りそな銀行)入行。大阪営業部長などを経て2009年に副社長。14年に共英製鋼に入社して副社長。18年6月から現職。

ひろとみ・やすゆき 1954年広島県生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業、大和銀行(現りそな銀行)入行。大阪営業部長などを経て2009年に副社長。14年に共英製鋼に入社して副社長。18年6月から現職。

父の転勤に伴い、3歳から大学卒業までは東京都で過ごした。そのあいだも親戚のいる関西にたびたび遊びにいった。高校1年生の夏休みの旅行がいまも記憶に残っている。アルバイトでお金をためて大阪万博に行った。1週間ほど親戚宅に泊まらせてもらい、毎日のように月の石を見た。

就職先は大和銀行(現りそな銀行)で、大阪市内の支店に配属された。何度も来ている関西でも、生活するのは初めて。当初は言葉遣いに苦労した。あいさつで「まいど」の一言がぱっと出てこないため、いつもばかにされていた。

仕事でミスをするたび、関東ではあまり聞かなかった「アホ」という言葉をかけられることも慣れなかった。そんなとき同期入社の女性がアドバイスしてくれた。「ボケとつっこみができないなら、『いじり』は我慢するしかない」。女性はのちの妻である。

積立預金の営業でマンションや団地などを回った。商品の説明や質問よりも、生活の話題について会話するお客が多く、温かさを感じた。預金やローンはそれぞれのお客の人生に寄り添うものだと思い、銀行の仕事が面白くなった。信用を得ると、何とかして預金してくれるお客も多く、「一緒になって汗をかこう」と心に決めた。

■2003年に本店の企画部長に就いた。当時のりそなグループは約2兆円の公的資金を投入され、経営陣が一新した時期だった。

社員への説明や株主へのおわびなどのため、昼夜を問わず働く日々が1年ほど続いた。社内には「本店を東京に移すべきだ」という意見もあった。しかし、関西経済の発展のために努力してきた銀行だという自負もあり、「それは違うんじゃないか」と訴え続けた。関西経済界の応援もあり、本店を関西に残すことができたときには心からほっとした。

とはいえ社内の「ヒト・モノ・カネ」の東京シフトは止まらない。関西の銀行として地域でどのようにして存在感を高めるか。西日本の責任者になってからは中小企業の経営者を育成したり、大手企業と連携したオープンイノベーションを推進したりする施策を部下と一緒になって考えた。365日営業し、夜間も対応する店舗の開設も印象に残っている。

銀行を退職し、14年に共英製鋼に入社した。共英製鋼との付きあいが始まったのは1998年ごろ。鉄鋼製品の中山鋼業(大阪市)の再建を担当した。同社は会社更生法の適用を申請し、共英製鋼などが出資して再建を果たした。

そのときに創業家の高島成光さんや現会長の高島秀一郎さんと知りあい、銀行の退職後に声をかけてもらった。同社はマンションの鉄筋などに使われる異形棒鋼の最大手で、現在は海外にも拠点を置いている。

■25年に大阪市で国際博覧会(大阪・関西万博)が開催される。関西の注目度が高まるなか、企業はグローバル展開を進めるべきだと指摘する。

万博開催が決まり、行政と民間がひとつの方向を目指し始めた。関西は「東洋のマンチェスター」と例えられた通り、幅広い産業が集積している。経営者はどうしても東京を意識しがちだが、これからは関西発の企業として世界に出ていくことが必要だ。当社は米国やベトナムに子会社を設けている。日本の工場で培った生産技術やノウハウなど日本流のものづくりを、海外でも実践して成長しようとしている。

もちろん大切なのは企業の成長だけでない。関西には多くの文化や観光資源があり、多様性に富んでいる。そういうところがアジアの人たちに受けている。万博をきっかけに訪日外国人客の一層の増加が見込まれる。企業や自治体などが協力し、関西をより過ごしやすく、魅力的な街にする取り組みも欠かせない。

(聞き手は大阪経済部 長田真美)

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