女性シベリア抑留者の名簿発見

2019/2/23 18:15
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旧ソ連によるシベリア抑留で、詳しい実態がつかめていない女性の抑留者について、日本人121人とドイツ人3人の名前などを記した名簿が、モスクワのロシア国立軍事公文書館に残されていることが23日、分かった。大阪大の生田美智子名誉教授が発見した。女性抑留者を巡っては、帰国後の証言や手記などが残されているが、女性の名前が列挙された公的資料の存在が確認されたのは初めてとみられる。

ロシア国立軍事公文書館に残されていた女性のシベリア抑留者の名簿=生田美智子・大阪大名誉教授提供、共同

生田名誉教授によると、名簿は収容所を移動する際に作成されたもので、A4判程度の紙に名前や生年、国籍、身分、移動日などが、行き先の収容地区別にロシア語で手書きされている。名前から旧満州の佳木斯(ジャムス)にあった第1陸軍病院に配置された第791部隊の看護師らとみられ、1945年9月末ごろにハバロフスクへ集められた後、翌年春にシベリア各地の収容所へ移動させられたときの記録の可能性がある。ドイツ人は、旧満州に赴任していた公使の妻と随員らとみられる。

第791部隊は旧ソ連軍の侵攻が始まった45年8月9日、佳木斯から西のハルビンへ移動しようと船で松花江を進んだが、たどり着けず、途中で下りた方正で拘束され、武装解除された。男性の軍医らに加え、約150人の女性が所属。内訳は日赤派遣の看護師が約20人、陸軍雇用の看護師と事務員が約50人、現地徴用で看護補助などを担った女子挺身(ていしん)隊で「菊水隊」と呼ばれた約80人がいた。全体の半数以上が10~20代前半だった。

女性らは、再び佳木斯に戻された後、ハバロフスクへ移送された。当初はまき集めや食糧運搬、トイレ清掃などの作業をしていたが、重労働を課せられた男性抑留者が最初の冬の極寒や飢えによって多く死亡したことから、看護や衛生対策を担うため、シベリア各地の収容所医務室や特別病院に分散させられた。

抑留の根拠となった旧ソ連指導者スターリンの極秘指令は、対象を「日本人」とし、男女の区別はなかったとされる。第791部隊のほかにも多くの女性が抑留されたと考えられるが、日本側の女性の証言や手記などの文献では「総勢二千人前後」や「二百数十人」という指摘があるほか、ロシア側でも「450人の日本女性を抑留」とする資料があるなど、戦後74年を経てもなお、全体像は把握できていない。〔共同〕

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