雛(ひな)祭りは女の子の健やかな成長を祈る行事だ。桃の節句に人形を飾り、家族らで祝う形は江戸時代に広まったとされる。ただ、近江商人にとっては取引先などと付き合う重要な催しであり、女子教育の場でもあった。そんな昔の雛祭りの様子をうかがい知ることができる「近江八幡節句人形めぐり」が滋賀県近江八幡市で開かれている。
商家などに伝わってきた江戸時代から昭和にかけての雛人形が、古い街並みが残る同市新町周辺の旧家や資料館、商店などに展示されている。近江八幡観光物産協会が、市に寄贈された古い人形などを生かす催しとして13年前に始めた。
■人形や菓子贈る
国の重要文化財、旧西川家住宅には、面長の顔立ちや綿を詰めて衣装をふっくらさせた享保雛や、顔が丸みを帯び写実的になった古今雛と呼ばれる江戸、明治期の雛人形が屋敷のあちこちに置かれている。当時、段飾りはなく、人形は平面に並べられた。現在の雛人形より大ぶりで、金糸の刺しゅうや装飾が華やかだ。
黒く太い梁(はり)や柱、土壁が重厚さを醸し出す屋内に、赤い毛氈(もうせん)の上の雛人形が映える。「多くの部屋があるので、毎年飾る人形や位置を変える工夫をしている」。旧西川家住宅を管理する近江八幡市立資料館の前坂雅春さんは話す。
旧伴家住宅の広間には大正期から戦前までの比較的新しい段飾りの雛人形が多数並び、壮観だ。商家に伝わり、その後寄贈された雛人形の多さが、八幡商人の財力を物語っている。
昔の雛祭りを調べた近江八幡市市史編纂(へんさん)室の山本順也さんは「商家の雛祭りは身内の祝い事にとどまらず、取引先などとの贈答を伴う地域の重要な儀礼だった」と言う。商家の日記には、女児の初節句に雛人形を新調したこと、付き合いのある商家から周囲を飾る人形や菓子が贈られてきたことなどが記されている。
人形も、三人官女や五人囃子(ばやし)だけでなく、呉服売りや鼓を打つ女の人形など、当時の風俗を表す人形が作られ、今に伝わる。
■礼儀作法の教材
商家の雛祭りが女子教育の機会になっていたことをうかがわせるのが、様々なままごと道具だ。ままごとは飯事と書く。まな板や包丁、お膳や桶(おけ)、食器、裁縫道具、化粧道具、寝具、三味線、お琴など様々な日用道具類のミニチュアが残っている。女の子は雛祭りにこうした道具で飯事遊びをしながら使い方や礼儀作法を身につけたという。
江戸時代から続く表具商の立木屋は、かまどを意味する「おくど」などの飯事道具を店先に展示している。驚くことに小さなおくどには、実際に火を焚(た)いたことを示す焦げた跡が残っていた。7代目店主の立木潤一さんは姉の雛祭りの際、祖母が姉や家に来た女の子に道具の使い方を教えていたのを覚えている。
「おくどの釜もちゃんと金属で作られているから実際に使えたんです。米と醤油(しょうゆ)を入れて炊き込みごはんを作っていました。古い割り箸を折って薪にしていた。煙がもうもうと上がってね」。おくどがなくなり、生活習慣が変わるとともに、飯事道具を使った雛祭りも廃れていった。
「古いものは捨てられてしまうことが多く、飯事道具類はほとんど残っていない。昔の八幡商人を知る手掛かりにもなります」。近江八幡観光物産協会の田中宏樹事務局長は語る。
文 編集委員 堀田昇吾
写真 大岡敦