ピアノから指揮へ はじまりは雨中のスクラム
指揮者・小澤征爾さん

ラグビーがなかったら「世界のオザワ」はいなかったかもしれない。成城学園中学(東京・世田谷)でラグビーに夢中になった小澤さんは、試合中に両手人さし指を骨折し、ピアニストから指揮者の道に転じた。運命のケガを負ったのは、雨中のスクラムだったという。

――小学生時代にピッチャーをやった野球少年が、どうしてラグビーに夢中になったのでしょうか。
「あのね、ボク、ラグビーなんて知らなかったんですよ。成城に入るまで。同級生に松尾勝吾というラグビーばっかりやってたのがいた。(のちに7年連続日本一となった)新日鉄釜石にいた松尾雄治さんのおじさん。ボクは割と体が強かったし、今よりもっと太ってたから、彼が『おまえはラグビーだ』って。ボクはピアニストになるつもりだったから、はじめは指が危なくない卓球部に入ったんだけど、実際はラグビーばっかりやった。もう無我夢中でしたね。松尾は彼が死ぬまで大親友。ボクはアメリカにいようが、どこにいようが、日本に帰ってくれば会ってました」
――なにより親友とやれることが楽しかったのでしょうか。
「そうでしょうね、今から考えると。ボクはスクラムを組むフロントで(背番号は)3番。永遠に3番ですよ。ひどいときは、組み合うプレーばかりで『おれ、1回もボールさわってねえ』と。ずんぐりしてた松尾はパスの多いスクラムハーフだった」
――指を骨折したときのことを教えて下さい。
「あのね、雨が降ってたと思うんだけど、どろどろの中でやってて、あっと気がついたら指が折れてた。『痛いっ』って思ったけど、何が起きたかわからない。スクラムだったと思いますけど。スクラムを組むたんび組むたんびに(敵味方が重なり合って)グチャグチャになってたわけ」

「(右手の人さし指をみせて)こういう風に曲がっちゃったの。これね、ピアニストにはたいへんよ。(左手の)こっちはね、まあそんなにひどくなかったけど。鼻も中に穴があいちゃって(右と左が)つながっちゃった。むちゃくちゃですよ」
――周囲の反応はいかがでしたか。ピアノの豊増昇先生から指揮者の道があることを教えられたと書かれています。
「豊増先生にはあきれられて。ボクをピアニストにするつもりだったから『ラグビーなんて、とんでもない』と言われていて、ボクもしないことになっていたけど、隠れてやっていた。上品な先生でね。今から考えると胸が痛いですよ。(先生の助言まで)指揮なんて、全然知らなかった。興味もなかったと思いますねえ、知らなかったから」
「オヤジ(故開作さん)がなんて言ったかは全然覚えてない。お袋(故さくらさん)には泣かれたような気がする。兄貴たちにも、相当言われましたよね。豊増先生という偉い先生について、みんなピアニストになると思ってたから」
――ラグビーやるんじゃなかったとは。
「いや、そんなふうには思わなかったねえ、やっぱり。ピアニストとしては大成しなかったと思うけども。指揮は斎藤秀雄先生についたのがよかったんです。これがウチのお袋の遠い親戚だった。この運がよかったんですよ」
――2015年の前回W杯で日本代表が強豪・南アフリカを破った試合、ご覧になりましたか。
「録画だったけど、もちろん見ました。すばらしかった。すごいよね。あんなこと起きるとホント、思わなかった。日本はスクラム(の自軍ボール)をほとんど取ってたじゃない。あんなに取れるとは思わなかった。なんであんなにできたんですかね。ヘッドコーチだったエディー・ジョーンズもいいねえ。ボク大好き、あの人」

――エディー氏は日本の高校生への指導で、隣の選手の声をよく聞くコミュニケーションの大切さを強調していました。野球やサッカーより多い1チーム15人の選手が方向感を共有しながら動くラグビーは、オーケストラに通じませんか。
「そりゃ、そうです。まったくその通り。ラグビーはそうですよね。サッカーは違いますよね、全然。ボクはサッカー見ていても、ちっとも面白くない。みんな夢中になっているけど、何が面白いのかな。そりゃ、ラグビーの方がよっぽど面白いですよ。あのコミュニケーション。一斉にやる。ラグビーは、その良さですよ。またそれが、みんなうれしいんだよね。うれしいの」
――子ども時代にラグビーを体験することの価値はなんでしょうか。
「ラグビーは小学生にはあまり向いてないんだよね、ホントは。技術的に難しくて無理だよ。スクラムも3人、2人、3人と並んで組むでしょ。あれを教えるのは相当無理があるよね。中学生からがやっとですよ」
「だけど、中学、高校でやったら、それはすばらしい。仲間とお互いに肌をくっつけて『一緒に生きてる』という感じだね。ああいうのは大人になったらできないからね。あの時代にやっとくべきだよ。そうすると、まともな大人になるんじゃないですかね、やっぱり。地にちゃんと足が着いた、うわついてない。そういうよさがあるんじゃないかな、ラグビーには。そんなことないかな。お互いの痛みも肌でわかるし。演奏会などでよく感激して抱き合うときがあるじゃないですか。あれと同じ感じが、ラグビーにはあるからね」
――ラグビーは教育たりえますか。
「なるかもね。ボクにはなっていたかもしれない。ラグビーのおかげだってこともあるかもしれない、ボクには」
「ラグビーボール、昔は革だったの、知ってる? (現在主流のゴム素材は)やだよね。革の方がいいよ。革のボールが見たいよ、やっぱり」
1935年(昭和10年)9月、旧満州国(現中国東北部)生まれ。52年に桐朋女子高校音楽科の1期生として入学し、故斎藤秀雄氏に指揮を学ぶ。59年に単身渡欧しブザンソン国際指揮者コンクール優勝。73~2002年ボストン交響楽団音楽監督、02~10年ウィーン国立歌劇場音楽監督。2019年は3月15~24日に3会場で開く小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトの公演「ビゼー:歌劇『カルメン』」の一部のほか、サイトウ・キネン・オーケストラによる夏の「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」などで指揮を予定している。
(聞き手 天野豊文 撮影 瀬口蔵弘)
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