2019年3月20日(水)

INF廃棄条約破棄、プーチン氏の狙い(The Economist)

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The Economist
2019/2/13 2:00
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1987年12月8日、米ホワイトハウスには、鎌と槌(つち)をあしらった赤いソ連の旗が掲げられていた。屋内では、ゴルバチョフ書記長率いるソ連の代表団が「モスクワ郊外の夕べ」を歌い、長年にわたり欧州の安全を脅かしてきた核兵器のうち特定のミサイルを全廃するという歴史的合意に米ソが調印したことを祝していた(編集注、この中距離核戦力=INF=廃棄条約は史上初の核軍縮条約で、射程500~5500キロの陸上配備型弾道ミサイルと同巡航ミサイルを廃棄、開発・配備しないと決めた)。

翌日、米国の有力者たちがゴルバチョフ氏の演説を聞くために国務省での昼食会に集まった。その中にはドナルド・トランプという名の厚かましい起業家もいた。

1987年12月8日、レーガン米大統領(右)とソ連のゴルバチョフ書記長は世界初の核軍縮条約であるINF廃棄条約に調印した=ロイター

1987年12月8日、レーガン米大統領(右)とソ連のゴルバチョフ書記長は世界初の核軍縮条約であるINF廃棄条約に調印した=ロイター

「2度の世界大戦に、消耗させられる冷戦、そしていくつもの小規模な戦争により何百万人もの命が失われてきた。政治のなせる無謀さや傲慢さ、自分たち以外の人々の利益や権利を軽視する代償としては十分すぎるのではないか」とソ連の最高指導者は問いかけた。そして、レーガン大統領の国務長官を務めていたジョージ・シュルツ氏は「あれだけ長く対立してきた米ソが、よくぞここまで来たものだ」と一人つぶやいた。

しかし、米ソいずれの軍部にも、安全保障関係の幹部たちの間にも、祝賀ムードを共有する雰囲気はなかった。人生のほぼすべてを通して米国と戦ってきたソ連の上層部は、自分たちが裏切られたように感じていた。米国側で冷戦を戦ってきた人々も、ゴルバチョフ氏は米国に優しく接することで、自分たちの国をわなに陥れようとしているのではないかと恐れた。

■条約破棄は米ロ間の不信感の象徴

以来30年を経た今、こうした好戦派の見方がついに優勢となった。INF廃棄条約は実質的には何年にもわたり効力を失いつつあったが、ついに破棄されるに至ったことは今の米国とロシアの間に広がる不信感を象徴している(編集注、米国が1日にINF廃棄条約を破棄すると表明、追ってロシアも2日、同条約の義務履行を停止すると表明した)。

「問題は、米国があまりに長い間自分たちが勝者だという態度で接してきたことだ」と話すのは、ロシア連邦軍参謀本部に名を連ねていた元中将のエフゲニー・ブジンスキー氏だ。「プーチンはゴルバチョフとは違う」と同氏は付け加える。

米政府にとってINF廃棄条約の終焉(しゅうえん)が意味するのは、ようやく現実を認識するに至ったということであり、この条約で禁止されているミサイルをロシアや中国およびその他複数の国が開発するのを阻止できなかったということだ。これに対しロシア政府にとって米国がINF廃棄条約を離脱すると宣言したことは、米国のロシアに対する優越感の表れであり、プーチン氏が米国に抱き続けてきた不信感は正しかったということを証明したことになる。

■プーチン氏には依然、軍事力がすべて

プーチン氏にとってINF廃棄条約はロシアの弱さを示すものでしかなかった=ロイター

プーチン氏にとってINF廃棄条約はロシアの弱さを示すものでしかなかった=ロイター

「ソ連は、他国の言いなりになるような貧しい弱小国ではない」と87年、ソ連国家保安委員会(KGB)を率いていたウラジーミル・クリュチコフ氏は、米中央情報局(CIA)の幹部に言い放った。同氏に師事してきたプーチン氏は、これを自らの指針とした。

ロシアの専門家として知られるフィオナ・ヒル氏は、トランプ大統領に2017年、米国家安全保障会議(NSC)のメンバーに指名される前、プーチン氏にとって「世界観は大きくは変わっていない」と書いていた。「確かにソ連共産主義は終わり、ソ連は崩壊した。だが、彼がそれまで務めてきた地位から得た見識から判断すると、ロシアは何も変わっていないし、彼は依然として軍事力こそがすべてを決めるという発想だ」

プーチン氏からすれば、INF廃棄条約は2国間の友好の証しなどではなく、相対的なロシアの弱さを示すものであり、それだけにこれを是正しようとしてきた。KGB出身のプーチン氏は、ロシア語でいう「ベゾパスノスト(安全)」、直訳すると「脅威のない状態」にこだわっているとヒル氏は指摘する。そのために常に様々な危険と戦っており、その危険というのは、プーチン氏の考えではほぼすべて米国からだけやってくる。

つまり、米国が侵略行為とみなすロシアのウクライナ問題への対応やシリアへの介入、米大統領選への介入といった行為は、プーチン氏にとっては米国を抑止し、ロシアが自国の勢力範囲内で好きに振る舞う自由を守るための手段だ。

問題は、冷戦時代の対立が終わった今も、ロシアにとっては米国が脅威であり続けているということを米国の政治家たちがきちんと理解していない点だ、とヒル氏は指摘する。このことが悪循環を生み、INF廃棄条約を徐々に効力のないものにしていった。

ロシアは長らく同条約の義務履行をごまかしてきた(編集注、米国は14年にロシアが条約に抵触する地上発射型巡航ミサイル「ノバトール9M729」の飛行実験をしたと初めて発表、17年には同ミサイルを配備したと批判してきた)。だが米国が離脱を決断すると、それを不当だと非難し、その決断こそが、冷戦後の安全保障体制を米国が無視している証拠だと主張している。

西側のほとんどの政治家は、プーチン氏との関係を改善できるとは思っていない。KGB出身の同氏は、直接対立することよりも、隠密の行動や陽動作戦を好む。例えば偽情報を拡散させたり、サイバー犯罪を奨励したり、雇い兵を動員したりするといった秘密工作だ。いずれも、政府とは関係のない人や組織によるものと見せかけている。

米国のある高官によると、目指すべきはプーチン氏と信頼関係を築くことではなく、対立を制御し、プロ同士としての関係性を築くことだという。トランプ政権は、条約を破棄すれば、安全保障についてもっと本音で対話できることにつながるとの期待があるのかもしれない。だが現時点では、プーチン氏がそれに応じる気配はない。それどころか、ロシア政府は米国の動きを自国に有利になるようプロパガンダに利用している。

■先制攻撃想定する必要がある時代の到来

ロシアの軍事戦略家らは、米国が欧州に新たなミサイルを配備することを想定し、その対応に備えるべきだと主張している。もし米国がそうした動きを見せるなら、「(バルト海沿岸の)カリーニングラードへの配備のほか、少なくともシアトルまで到達するミサイルを(極東のベーリング海に面する)チュコト自治管区に設置することも検討すべきだ」とブジンスキー氏は言う。さらに、もし東欧に核ミサイルが配備されるような事態になれば、キューバ危機の再発の恐れもあるとも指摘する。

「その場合、ロシアの高官らが言うように報復攻撃ではなく、我々にとっては先制攻撃を想定しなければならない時が来たということだ」。米ロは、ゴルバチョフ氏とレーガン氏の時代から、実に遠いところまで来てしまったということのようだ。

(c)2019 The Economist Newspaper Limited. February 9, 2019 All rights reserved.

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