2019年2月19日(火)

身元不明、全国2万体と向き合う捜査員たち
ドキュメント日本

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社会
2019/2/3 15:27
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何も告げず家族のもとを離れ、人定につながる所持品も残さず亡くなった身元不明の遺体。全国で2万体、東京都だけで3千体に上り、年々その数は積み上がっていく。警視庁には全国で唯一こうした遺体の身元特定に取り組む専門部署がある。わずかな手掛かりをもとに、地道な作業に取り組む現場を取材した。(蓑輪星使)

身元不明の遺体の特徴を記した似顔絵(東京都千代田区の警視庁)

身元不明の遺体の特徴を記した似顔絵(東京都千代田区の警視庁)

身元不明相談室は皇居・桜田門前の警視庁本部の正面玄関を入ってすぐ。「私を知っている人はいませんか」。部屋にはこんな見出しの写真パネルが並んでいる。

「私は平成28年(2016年)10月10日の朝、台東区の隅田川で発見されました。青色のレンズのサングラスをかけていました」。パネルは鑑識技術で故人の生前の顔貌を再現し、見る人に一人称で語りかける。

警視庁は年間約2万体の遺体を変死、事故事案として取り扱う。多くは身元が分かるが、120~130体は人定できない。現在、同庁管内の寺や役所などに約3千の遺骨が安置されている。

相談室では5人の捜査員がこうした遺体の身元特定に専従。耳や鼻などの特徴、腕時計の型番、歯の治療痕……。捜査員は応接室で訪問者から不明者の詳細を聞き取り、資料のある隣室と行き来しながら合致する情報がないか調べる。

「姉と連絡が取れないんです」。都内に住む30代の女性は1年間、関西地方に住んでいた姉を探し続けた末、インターネット検索で知った相談室に駆け込んだ。

「身元不明相談室」(東京都千代田区の警視庁)

「身元不明相談室」(東京都千代田区の警視庁)

捜査員は女性から姉が消息を絶った時期や身体の特徴などを聞き取り、警察庁のデータベースと照合。関西地方の海岸で見つかった遺体の存在が浮上した。何年も姉と会っていないという女性。遺体の着衣の写真を示され「確信はありません。でも姉が着ていそうな服です」。

およそ1カ月後、DNA型鑑定で姉の遺体と確定した。「見つけられた喜びと、姉はいなくなってしまったんだなという悲しみが混ざって……。でも、家に連れて帰れてほっとしました」

相談室のルーツは1945年、鑑識課内に設置された「身元担当係」。空襲で亡くなった人らの身元を調べるためにつくられたと言われている。相談室に15年間勤務する川島伸之巡査部長(57)は遺体を見るときに耳の形に注目する。「耳は生前と死後であまり形が変化せず、時間がたっても特定しやすい」。数え切れない遺体と生前の写真を見比べて独自のノウハウを築いてきた。

身元不明の遺体の特徴や持ち物などを伝えるパネル(東京都千代田区の警視庁)

身元不明の遺体の特徴や持ち物などを伝えるパネル(東京都千代田区の警視庁)

近年ではデータベースやDNA型鑑定なども加わり、技術的には身元特定の可能性は高まっている。ただ、相談室が扱う遺体は自殺者の割合が高いとみられ、身元につながる所持品が全く残っていない場合が多い。

18年に相談室が受けた相談は約170件。そのうち遺体の身元が判明したのは約20件だった。

それでも川島さんは「行方不明者を探す人が最後に頼るのが私たち。身元特定の技術にこれで終わりということはない」と、きょうも帰る場所のない遺体と向き合う。

近しい人の生死が長い間分からない――。防衛医科大学校の高橋聡美教授(精神看護学)は「曖昧な喪失状態」と表現する。遺体の身元を特定する仕事には「残された人々の曖昧で苦しい状況に決着をつけるという意義がある」という。

◇  ◇

■年数千人、行方不明のまま

警察庁によると、2017年に全国の警察に行方不明届が出された行方不明者の総数は8万4850人で、前年と同数だった。一方、過去に行方不明届が出ていた人の中で、17年中に行方が分かったのは8万1946人に上り、大半が届け出から1週間以内といった早期の段階で生存して見つかっている。

このうち遺体として発見されたのは3837人だが、身元不明遺体に含まれない。

差し引くと年間数千人が行方不明のまま、積み上がっていく計算になる。捜査関係者は「身元不明遺体にはこうした人たちが含まれる可能性がある」と分析する。

遺体で見つかっていても財布や免許証、携帯電話など身元を示す所持品がなかったり、発見後に身元確認する親族がいなかったりするケースもあるとみられる。周囲と隔絶して暮らす独居高齢者の数は厚みを増しており今後、身元不明遺体が増える恐れがある。

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