2019年4月22日(月)

生命燃やし近代えぐる 石牟礼道子さん、魂の旅終える
九州・沖縄 平成の記憶

コラム(地域)
九州・沖縄
2019/2/11 6:30
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平成に入り70代で患ったパーキンソン病にもかかわらず、日々の口述筆記をやめようとはしなかった。不知火の海を舞台に、世界との交感に生命を燃やし続けた作家は、閉じていた両目を不意に開くと、一筋の涙を残し90歳で逝った。2018年(平成30年)2月10日午前3時すぎのことだった。

水俣病患者の苦難について図を描きながら説明する石牟礼道子さん(2015年4月、熊本市東区)=共同

水俣病患者の苦難について図を描きながら説明する石牟礼道子さん(2015年4月、熊本市東区)=共同

石牟礼道子さん。長編小説の「十六夜橋」に詩集の「はにかみの国」、そして水俣病という艱難(かんなん)辛苦をつづった「苦海浄土 わが水俣病」。傍らで創作活動を長く補佐してきた日本近代史家の渡辺京二さん(88)はふっと笑う。「道子さんという人は、同じ世界にいながら同じ世界を見ているわけではなかったんですよ」

■異常な共感力

石牟礼さんが幼い頃から遊んで暮らした不知火海(八代海)に、近代文明は毒を吐き出した。

化学工業メーカーのチッソが排水した有機水銀を含む工場廃液は海を黒く濁らせ、腐臭を放ち魚介類を汚染した。何も知らされずに食べた住民らは手足のしびれや運動、視力、言語障害といった神経系疾患を発症した。

もういっぺん元の体にかえしてもろて、自分で舟漕(こ)いで働こうごたる。いまは、うちゃほんに情なか――。

「苦海浄土」で描かれた患者の悲痛な叫びだ。だが患者の直接の声ではない。作品を書き上げた後で「あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」。言葉すら失った患者の心の奥深くまで沈み込み、その受難を我がものとし続けた。

笑顔をみせる石牟礼道子さん(2012年2月)

笑顔をみせる石牟礼道子さん(2012年2月)

他人の苦しみに深く感応し、見過ごせない人を水俣の言葉で「悶(もだ)え神」という。「道子さんはそういう魂の持ち主だった。異常ともいえる共感能力こそが原点」と渡辺さんは語る。

「水俣死民」「怨」。漆黒ののぼり旗に、白抜き文字が鬼気迫る。都心のビル群は「近代の卒塔婆」と吐き捨てた。石牟礼さんの世界観は、水俣病闘争のシンボルになった。現代的な市民運動とは一線を画し、患者の生の声をぶつけて、企業の責任者から少しでも人間らしい声を引き出そうと闘い続けた。

「石牟礼さんがいなかったら、水俣病闘争は普通の損害賠償請求にとどまっていた」。ともに闘争に参加した福元満治さん(70)はこう話す。魂を揺さぶる表現者を通じてこそ、水俣病は文明の宿痾(しゅくあ)として、経済成長の病理を指弾する象徴となった。

■苛烈な言葉連ねる

「自分は世の中とそりが合わん」。石牟礼さんは物心ついたころからこう思っていたという。「若い頃はまるでハリネズミ。世の中にとげとげして、不平不満をはき出すため書かずにはおれなかった」(渡辺さん)。遺品整理の中で見つかった約270冊に及ぶノートに並ぶ言葉は苛烈だ。「世の中は偽善、欺瞞(ぎまん)」「みんな死んでしまえ」

石牟礼道子さん(熊本市)

石牟礼道子さん(熊本市)

ほとばしるイメージとエネルギーは1カ所にとどまることを知らなかった。読書も想像力がかき立てられるところだけ読んでおしまい。読み切ったのは宮沢賢治と国語の教科書だけという。講演でもあちこちに話が飛んだ。日記すら270冊のノートや手紙、封筒の裏に千々に砕けた。

そんな文章を、渡辺さんが紡ぎ合わせて清書する。ところが少し目を離すと、赤ペンを握りしめた石牟礼さんが清書原稿を真っ赤に染める。それを清書し直すと、また「あらこれは……」。ついには美しく装丁し終えた詩集にも赤字を入れた。「頼むけん、もうやめてくれ! おれはあんたの赤ペンが一番怖い」。けんかもしばしばだった。「生命力があふれすぎて本当に大変だった」

■道半ばの救済

水俣病が公害病認定されて半世紀。患者認定を巡る訴訟は続き、くすぶる差別感情は今も地域に暗い影を落とす。患者には「いつまで騒ぎ続けるのか」といった心ない声も届く。水俣病は今も終わっていない。

穏やかな不知火海を小さな釣り船が行き交う(1月13日、熊本県水俣市)

穏やかな不知火海を小さな釣り船が行き交う(1月13日、熊本県水俣市)

水銀汚染地帯を埋め立てたエコパーク水俣の岸壁で1月中旬、初老の男性が釣りをしていた。石牟礼文学には触れていないという。しかし「ここはイカもカワハギも釣れる。恵まれた自然があって、のんびり住まうことができれば、それが一番」と言って笑った。

失われた自然と共生する人間のあり方を、文学を通して世に問うてきた石牟礼さん。平成の最終盤を見届けて旅を終えた作家の目に、この時代はどう映っていただろうか。「精一杯(いっぱい)力を併せてこの海を守っていきます」。こう刻まれた水俣病慰霊の鐘は、鏡のように凪(な)ぐ不知火の海を見守っていた。(江里直哉)

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