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高槻城に高山右近の障子堀

(更新)

キリシタン大名・高山右近が1573年に城主となった高槻城跡(大阪府高槻市)で、堀底を格子状に掘って敵の侵入を遅らせる「障子堀」と石垣の一部が見つかり、市教育委員会が30日、発表した。堀底を泥で覆って隠し、落とし穴のような機能を持たせていた。

森田克行・市立今城塚古代歴史館特別館長は「石垣と障子堀を合わせて防御の相乗効果を狙ったのではないか。織田信長や豊臣秀吉に認められた築城の名手・高山右近を裏付ける根拠になる」と話した。

障子堀は西日本では松江城下町遺跡(松江市)など数例しか見つかっていないが、秀吉の大坂城の障子堀より古く、近畿で最古級とみられる。

今回新たに幅約16メートル、深さ約4メートル、長さ約70メートル分の堀を確認。これまでの発掘成果と合わせて堀の長さは120メートルを超すとみられる。堀の南側では、1、2段分の石垣を発見。石垣の沈下を防ぐ木材「胴木」を据え、くいで留めた後に石垣を築いていた。

堀底では格子状の穴「障子」28個を確認。障子は最大で縦4メートル、横2.3メートル、深さは0.2~1メートルで、大きさ、深さが不規則で、泥で埋めて障子がどこにあるか分からないように工夫されてあった。同時期に関東で築かれた堀の障子は、整然としているが、高槻城では大きさ、深さがそろっておらず、近畿で独自に発展した可能性もあるという。〔共同〕

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