2019年4月24日(水)

鴻海進出、揺れるウィスコンシン(The Economist)

北米
The Economist
2019/1/30 2:00
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米中部ウィスコンシン州南部の街、マウント・プレザントにあるマホーニー家の台所から見える景色には驚く。庭の先にはアシが生えており、その向こう側で毎分のように大型トラックが走り抜け、毎回、だいだい色の砂を巨大なピラミッドのように積み上げていく。黄色の掘削機やブルドーザーが音を響かせながらせっせと動き回っている。かつて雑木林だったところに最近、白い工場が建った。マホーニー夫妻によると、ロボットの組み立てなど様々な目的に使うとのことだ。

同夫妻は、2年前に田舎暮らしを楽しめる、とここに自宅を完成させたが、その思いはかなわなかった。ほどなくして当時ウィスコンシン州知事だったスコット・ウォーカー氏(共和党)が、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業に一帯を明け渡すと発表したからだ。同社は100億ドル(1兆1000億円)を投じて、マウント・プレザントの大半を占めるような巨大な工場を建設中だ。少なくとも当初は、最新の大型液晶テレビを量産する約束だった。

■1万3000人の雇用を生み出すと期待集めた

2018年6月、鴻海の工場建設の起工式に出席した(左から)ウォーカー知事(当時)、トランプ米大統領、郭台銘董事長=ロイター

2018年6月、鴻海の工場建設の起工式に出席した(左から)ウォーカー知事(当時)、トランプ米大統領、郭台銘董事長=ロイター

あっという間の展開だった。昨年6月、マホーニー家の庭から目と鼻の先で、トランプ米大統領が金色のシャベルを片手に鴻海の工場起工式を行い、この工場は「世界の七不思議に続く8番目の素晴らしいものになるだろう」と宣言した。伝えられるところによると、米国への1回の海外直接投資(FDI)額としては、過去最大になるという。地元の住宅所有者は反対したが、結局、ほとんどが家を手放した。頑固なマホーニー夫妻とペットの犬は、まだ自宅に住んでいる。

マホーニー氏の妻キム氏は、性急に進められた不透明なプロセスの中で、政治家たちに見捨てられたと感じていると言う。共和党は、その経済的な恩恵を強調した。特に鴻海が1万3000人の雇用を生み出し、ラシンなど近くの不況にあえぐ街の低熟練労働者らに年間賃金として平均5万ドル以上を払うと約束した点を素晴らしいとした。ラシンは、かつてはドリンクの「ホーリックス」やトラクターの生産地として知られた。今はすっかり荒廃しているが、この南ウィスコンシンの工業地域が、鴻海のベンチャーファンドやその他の事業で活気あふれるスタートアップのハブに生まれ変わるというのだ。

■正当化できない巨額の優遇策約束した州政府

一方で、民主党は大した抵抗を見せなかった。スモッグの排出規制を緩和するなど、鴻海に不当な便益が図られていることに不満を示す人はいた。同社は近くのミシガン湖から大量の水を吸い上げることも認められるなど、異例の待遇を受けている。あきれたことに特別な法律のおかげで実質的に一部の裁判所を超越する権限も持つ。州内の下級裁判所で不利な判決を下されたら、その裁判所で控訴手続きなどを経ずとも一気に州の最高裁に上訴できるという特権だ。

昨年11月の州知事選でウォーカー氏を破り、この1月に新知事に就任した民主党のトニー・エバース氏は、過激な政治家ではない。かなりの雇用を見込める話に反対しているとみられたくないため、鴻海との合意には慎重な姿勢を保っている。前任者が結んだ契約を破棄することで投資家を遠ざけたくないとの思いがある。州都マディソンに住む高学歴で都会派のリベラル派の間には、同契約を問題視する向きがあるかもしれない。だが、ブルーカラーの民主党支持者たち、特にラシン近辺に住む彼らは鴻海進出に強い期待を寄せている。2017年にラシン市長に選出された哲学者肌のコリー・メイソン氏も、さびれつつある自分の街が復活することを願う熱烈な鴻海進出支持派だ。

メイソン氏は州議会議員時代、ウォーカー氏が鴻海と交わした契約を支持した3人の民主党議員の1人で、「民主党支持派の間で意見が分かれたのは、階級の差による見解の違いが原因だ」とみる。メイソン氏によると、工場で働く人、働きたい人は鴻海進出を歓迎するが、大卒者は反対したという。5世代にわたりラシンで暮らしてきた民主党のグレタ・ノイバウアー州議会議員も、メイソン氏の見方に同意しつつ、鴻海との契約は気に入らないが、「もう止められない以上、最大限に活用したい」と話す。

だが、こうした判断は民主党議員にはリスクを伴う。鴻海との契約は財政的に理にかなわないからだ。ウォーカー氏は(トランプ氏の圧力を受け)、鴻海に途方もない額の公的資金の提供を約束した。ミシガン州アップジョン雇用調査研究所のエコノミスト、ティム・バルティック氏によると、どこの州政府も巨額の投資をしてくれそうな企業には、その企業が負担する賃金総額の3%に相当する補助金を20年間提供するといった誘致策を提示するという。

例えば昨年、米アマゾンの第2本社を誘致するため、ニューヨーク州は賃金の6%、バージニア州は1%を支払うと申し出た。ウィスコンシン州は、鴻海との契約で実に賃金の30%、つまり平均の10倍の規模の誘致策を約束した。具体的には鴻海に45億ドル近くを提供すると約束しているが、バルティック氏はそれだけの金額を正当化するのは不可能だと指摘する。「20年以内に、絶対にやってはいけないことの典型例として記憶されるだろう」と。

ウィスコンシン州は製造業の企業にはほぼ課税していないので、事業税を減税できない以上、その企業が負担する売上税を軽減するか、土地を無料で提供するか、州政府が直接資金を提供する形を取ることになる。今後、何年も毎年約3億5000万ドルが州予算から支出されることになるが、エバース知事は増税しないと約束しているので、教育費や医療費を削減せざるを得なくなると思われる。

■既に米国で働く中国人が移り住むとの噂も

さらに悪いことに、鴻海はここへきて各国でのスマートフォン(スマホ)の売り上げ低迷への対応に追われ、当初の大胆な約束を撤回している。結局、大型液晶テレビは製造しないという。そうなると、ガラスメーカーの進出も必要なくなるなど、地元のサプライチェーンの構築も小規模なものに限られる。何かを生産するのではなく、製品を入荷して組み立てて出荷するとしているが、何を組み立てるのか、まだ誰にも分からない。スマホ用の小さなディスプレー画面かもしれない。

コストを抑えるべくロボットが多くの作業を担うため、雇用されるラシン在住の低熟練労働者は想定されたほど多くないかもしれない。しかも、地元住民は必要とされるスキルに欠ける。自動化と労働者の供給について分析している米シンクタンクのブルッキングス研究所のマーク・ミュロ氏は、ラシン近辺は特にエンジニアリングやコンピューター、数学のスキルを持つ人材が少ないという。そのため、鴻海はエンジニアや開発者を各地から採用するという。同社は、中国からエンジニアを連れてくるという報道を否定しているが、契約を詳しく知る人によると、既に米国で働いている中国人数百人が、ウィスコンシン州に移り住む可能性があるという。

民主党は、鴻海との契約をこれから撤回することなどできるだろうか。ウィスコンシン州の民主党組織の会長をかつて務めたマット・フリン氏は、鴻海が憲法に反する法的な特別待遇を受けているとして、民事訴訟を起こす方針だ。さらに、同社が計画を変更したのは、契約違反ではないのか確認するようエバース氏に求めている。そんな努力をしても、トラックや掘削機の動きを止めることはできないだろう。マホーニー夫妻には来月、自宅を巡る調停の結果が出る見込みだ。台所に立って庭を眺めることはもうすぐできなくなるということだ。

(c)2019 The Economist Newspaper Limited. January 26, 2019 All rights reserved.

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