2019年3月20日(水)

我こそが自民党 大宏池会構想にひそむ自負
ワルぶる閣下~その虚実 麻生太郎物語(4)

麻生太郎物語
コラム(経済・政治)
政治
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2019/2/4 2:03 (2019/2/7 2:00更新)
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日本経済新聞 電子版
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2017年春、都内の日本料理屋に自民党の幹部議員らが顔をそろえた。麻生派幹部と岸田派幹部の会合だ。当時外相だった岸田文雄とならんで主役の一人であった副総理・財務相の麻生太郎は、会合から戻ると不快感をあらわにした。

「あの不真面目な態度はなんだ。『構想』はいったん白紙だな」

■2つの源流

岸田派も麻生派も、自民党の名門派閥「宏池会」を源流に持つ派閥同士だ。谷垣禎一のグループを含めた3つの派閥が合流して党内の一大勢力にできないか――。実現すれば細田派に次ぐ党内第2派閥となる。かつての栄光を取り戻すかのような「大宏池会構想」を探る動きが麻生、岸田両派閥を中心に1年近くあった。それが頓挫した瞬間だった。

自民党には主に2つの潮流がある。日本の安全保障を米国に依存するかわり経済成長を最優先させた吉田茂の路線と、憲法改正など日本の自立を志向した岸信介の路線がそれだ。

吉田の路線はその後、池田勇人と佐藤栄作らが引き継いだ。池田は宏池会を結成し、佐藤の派閥は後の経世会や平成研究会(竹下派)につながる。二大名門派閥の源流にある吉田が自民党内の「保守本流」の原点とされるゆえんだ。一方、岸の路線は首相、安倍晋三の出身母体である細田派が受け継いでいる。

■プリンスとの戦い

1979年に衆院議員に初当選した麻生は、吉田の孫として自然の流れで当時、大平正芳が率いていた宏池会に入った。83年には大平から派閥会長を継いだ鈴木善幸の娘、千賀子と結婚し、派閥内での存在感を高めた。経歴だけみれば「名家中の名家」であり「宏池会の保守本流」だ。

だが、歩み始めた道は一本道ではなかった。

宏池会のなかでは当時、加藤紘一が衆目の一致する将来の首相候補と目され、すでに「宏池会のプリンス」と呼ばれていた。麻生よりも1つ年上なだけだが、麻生が当選3回のときに加藤はすでに当選6回だった。加えて宏池会は当時、官僚出身者が中心だった。吉田の孫とはいえ実業界出身の麻生は外務省出身の加藤から軽んじられた。

麻生は河野とともに宏池会を離れ、河野グループ(大勇会)で活動する(1999年)

麻生は河野とともに宏池会を離れ、河野グループ(大勇会)で活動する(1999年)

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2019/2/6 2:00更新

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