2019年6月21日(金)

駒沢オリンピック公園(東京・世田谷) 幻の五輪会場
今昔まち話

コラム(社会)
2019/2/2 12:53
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2020年東京五輪・パラリンピックで、どれぐらいの人が競技場で観戦できるだろう。いま建設が進む新国立競技場(東京・新宿)の収容人数は約6万8000人。大会で最も大きな会場となる横浜国際競技場(横浜市)は約7万2000人。これだけ入れば十分と思いきや、かつて五輪に向け、10万人超を収容できる競技場が計画されたことがある。

「幻の東京五輪」の主会場となるはずだった駒沢オリンピック公園

「幻の東京五輪」の主会場となるはずだった駒沢オリンピック公園

場所は現在の駒沢オリンピック公園(東京・世田谷)。1940年に開催されるはずだった「幻の東京五輪」のメインスタジアムだ。

40年は皇紀(神武天皇即位の年を元年と定めた紀元)2600年とされ、国威発揚と国際社会での日本の立場を強めるため、官民を挙げて招致活動が行われた。36年にライバルのヘルシンキ(フィンランド)を抑え、開催が決定。中外商業新報(日本経済新聞の前身)は見出しで「"日本勝てり"の快報 我が選手団勇気百倍 宵空高く万歳の歓声」と当時の興奮ぶりを伝えている。

スタジアムの建設計画は曲折をたどったが、当時ゴルフ場があった駒沢に決まった。選手村や水泳会場も併せて新設され、一大スポーツエリアになるはずだった。

だが計画は未完のままで終わった。37年の日中戦争で国際的な緊張が高まり、国内外から「ボイコットすべきだ」との声も広がる。翌38年、日本は返上を表明した。

無念の思いは招致に関わった人たちの胸にくすぶり続けたのだろう。スタジアムの予定地はその後、防空緑地や農地などを経て、都が総合運動場として整備。公園の原田明公園管理所長(66)は「これだけの広い土地を住宅地に転用せず、スポーツに使ったのは、40年大会の悔しい思いがあったからだろう」と話す。

東京五輪は64年に実現。メイン会場は旧国立競技場に譲ったが、駒沢はバレーボールやサッカーなど4競技が行われる第2会場に。「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーの活躍は、日本中の注目を引き付けた。

陸上競技場や体育館、サイクリングコースなど多くの運動施設を備え、年約200万人が訪れる公園には、五輪開催を夢見た約80年前の思いが受け継がれている。

駒沢ゴルフ場跡の碑

駒沢ゴルフ場跡の碑

昭和天皇もプレー
 後に日銀総裁や蔵相を歴任する井上準之助が、海外勤務で親しんだゴルフを日本でもできるよう1913年に「東京ゴルフ倶楽部(クラブ)」を創設。翌14年に駒沢に6ホールのゴルフコースが開場した。22年には、皇太子(後の昭和天皇)と英皇太子によるマッチプレーが行われた。結果は英国側の勝利だったという。
 今の公園には当時の面影を残すものはほとんど残っていないが、ゴルフ場があったことを示す小さな碑が、公園から数分の場所にひっそりと立っている。

(岩村高信)

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