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競馬実況アナ日記

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夢は世界最高レベルの舞台 逆輸入騎手誕生への道

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2019/1/19 6:30
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オーストラリアでスタートした「騎手人生」がいま、大きな転機を迎えようとしている。2019年度の日本中央競馬会(JRA)新規騎手試験第1次試験(学科、筆記)に合格した藤井勘一郎騎手。過去5回の挑戦はいずれも1次試験で不合格。6回目の挑戦でようやく1次の壁を越えることができた。とはいえ、あくまでも1次合格であり、まだ長年の夢がかなったわけではない。

「最初に受験したのが09年。10年余りで6回目の受験になりました。でも、今回は一番、手応えがありました。1次試験合格の後は、周囲からおめでとうと声をかけられましたが、まだ合格したわけではないですから。気を抜かずに次の試験に向け準備をしたいです」と藤井騎手は現在の心境を話してくれた。

競馬の魅力に取りつかれ志す

父は銀行員というサラリーマン家庭に育ち、競馬の世界とは全く縁がなかった。競馬に興味を持つきっかけは、子供のころに読んでいた漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」。主人公の警察官が競馬を楽しむ姿に、初めて競馬という存在を知ったという。後に、実際の競馬に触れたのは、フジキセキが4連勝を飾った弥生賞。漆黒の馬体に魅せられ、ますます競馬の魅力に引きこまれていった。

初めての競馬生観戦は、父に連れられて訪れた京都競馬場。「パドックを周回するサラブレッドの大きさや美しさ、芝生の上を走る蹄(てい)音、スピード感に圧倒されました」と振り返る。このころには、すっかり競馬の魅力に取りつかれ、自然と騎手を志すようになった。

オーストラリアでのデビュー当時=藤井騎手提供

オーストラリアでのデビュー当時=藤井騎手提供

最初はJRAの競馬学校に入学するつもりだったが、願書を取り寄せたときには、受験資格で既に体重が1キロオーバー。騎手の道も一度は諦めかけた。そんなとき、競馬雑誌に掲載されていた広告でオーストラリアのARI競馬学校の存在を知る。15歳で単身オーストラリアに渡ることにも迷いはなかった。デビューから5年間在籍したオーストラリアの思い出について、「騎手としてのデビュー戦は4頭立ての1600メートル戦。3着という結果でした。その2週間後、ゲート内の事故で負傷して3カ月戦列から離れることになりました。ついていないと思いましたね」

そして事故から数カ月後、復帰したその日に初勝利。このころから少しずつ、藤井騎手にフォローの風が吹き始める。「初勝利は02年春のリズモア競馬場。ブライドルスターという馬でした。馬の調子のよいころで、この馬のおかげでタムワースやグラフトンなどオーストラリアのいろいろな競馬場に連れていってもらって勝利を挙げ、多くの経験を積むことができました」

もちろん、馬だけでなく、人にも恵まれてきたという。「3年間所属したノエル・メイフィールドスミス調教師には、今でも大いに感謝しています」

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