2019年6月17日(月)

熊楠エコロジーの原点 飛瀧神社周辺 原生林(もっと関西)
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コラム(地域)
2019/1/16 11:30
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紀伊半島の熊野は古代から神秘的な聖地とされてきた。1000メートル級の尾根が連なる峻険(しゅんけん)な山地と豊かな清流は、自然そのものを信仰する文化を育んだ。その象徴的な地域といえるのが那智の滝と、滝そのものを御神体とする飛瀧(ひろう)神社周辺の原生林だ。明治から昭和にかけて活躍した博物学者、南方熊楠が魅(み)せられ、エコロジーにつながる思想を巡らせた場所でもある。

■落差日本一誇る

熊野那智大社の別宮である飛瀧神社の鳥居

熊野那智大社の別宮である飛瀧神社の鳥居

那智の滝は実は1つではない。一段の滝として日本一の落差(133メートル)を誇る有名な滝は「一の滝」と呼ばれ、上流には二の滝、三の滝も存在する。一の滝の上流は神域で普段は立ち入ることができない。ただ、地元の観光協会に申し込むと2~5月に入ることができる。今回は特別な許可を得て足を踏み入れた。

観光地ではないため通路は整備されていない。時には細い突起物に足をかけながら、岩伝いに進まなければならない場所もある。ただ原始の姿をとどめる樹林は神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たる雰囲気に包まれ、厳かな気分になる。

修験道を修行する山伏たちも、厳しくも清澄な環境の中で信仰心を磨いたのだろう。熊野をあつく信仰した花山法皇が10世紀後半、庵(いおり)を編んで修行したと伝えられる巨岩も残る。

神社の御神体、那智の滝の周辺には照葉樹の原生林が広がる

神社の御神体、那智の滝の周辺には照葉樹の原生林が広がる

神域を45分程歩くと、二の滝に達した。落差は約23メートル。一の滝ほどの迫力はないが水量は多く、なかなか見応えがある。さらに20分ほど進むと三の滝(落差約15メートル)に到着する。

この辺りにはシイ、カシ、タブノキなどの照葉樹が手つかずのまま残る。またユリ科の植物で絶滅危惧種であるキイジョウロウホトトギスなどの珍しい植物も見つけることができる。

那智の原生林は広さ約32万平方メートル。年間総雨量が3500ミリを超す温暖多雨の気候に恵まれ、原生林を調査した研究者の報告書には、158科1013種の植物が記載されているという。南方熊楠記念館(和歌山県白浜町)学術スタッフ、土永知子さんは「この規模で残る照葉樹の原生林は全国でも珍しい」と話す。

■採取に3年没頭

「二の滝」そばの原生林。南方熊楠はこの周辺で植物やキノコ、粘菌の採取に没頭した

「二の滝」そばの原生林。南方熊楠はこの周辺で植物やキノコ、粘菌の採取に没頭した

こうした豊かな自然に魅了されたのが南方熊楠だ。熊楠は1901年から約3年間、那智の原生林で植物やキノコ、変形菌(粘菌)などの採取に没頭した。熊楠の日記には那智での採取を終えたころのメモとして、那智周辺も含め682種という数値が書き込まれているという。

ただ熊楠の標本は、いつどこで採取したかなど細かいデータがない物も多い。また原生林での活動について論文を書いておらず、植物分類学上の業績を挙げたわけでもないようだ。では熊楠は何のために、原生林に籠もっていたのか。

熊楠作製の標本には、熊楠が那智の原生林の植物を網羅的に採取したような形跡があるという。土永さんは「熊楠は自然の中にある要素を個別に分析するのではなく、全体として捉えることで奥に潜む真理を見いだそうとした」とみる。

南方熊楠記念館の谷脇幹雄館長は「那智原生林は、万物が相関するという熊楠の思想を生み出す原点となった」と指摘。こうした思想を「現代のエコロジーの概念の先駆け」と評する。

聖地熊野の探求は、現代人の「自然との共生」を考えるヒントにもなる。

文 和歌山支局長 細川博史

写真 善家浩二

南方熊楠=南方熊楠記念館提供

南方熊楠=南方熊楠記念館提供

南方熊楠(みなかたくまぐす) 植物学から民俗学まで幅広い分野で活躍した博物学者。1867年和歌山市生まれ。東大予備門中退後、欧米を巡りながら研究した。英科学誌「ネイチャー」に51本も論文が掲載され、粘菌などの研究成果は高く評価されている。日本で最初に自然保護運動に取り組んだとされ、人間と生態系の関わりについて深く考察したエコロジーの先駆者としても注目されつつある。

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