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けがしても休めぬ 稀勢の里追い詰めた使命感

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2019/1/16 11:30
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大相撲の横綱稀勢の里が引退を決断した。2017年1月の初場所で悲願の初優勝を果たして横綱に昇進、翌3月の春場所もけがを抱えながら22年ぶりの新横綱優勝を飾った。新時代の扉が開いたかにみえたが、そこから8場所連続休場するなど2年間で成績は急降下した。引退に追い込まれた背景には何があったのだろうか。

【関連記事】稀勢の里が引退会見 「土俵人生、一片の悔い無し」

成績が低迷した一番の要因は、言うまでもなく左大胸筋と左上腕のけがだった。全勝で迎えた17年春場所13日目。横綱日馬富士に鋭く潜り込まれて土俵下に落とされ、左胸付近を押さえながら動けなくなった。それでも14日目と千秋楽を強行出場、千秋楽は左腕が使えないなか、本割と優勝決定戦で大関照ノ富士を下して、奇跡ともいえる逆転優勝を飾った。けがを押して出場した本場所の相撲は、左腕をほとんど使っておらず、故障を悪化させたようには見えなかった。となると、その後の対応で狂いが生じたように思える。

17年春場所13日目、稀勢の里は土俵下に落ち、左胸付近を押さえながら動けなくなった

17年春場所13日目、稀勢の里は土俵下に落ち、左胸付近を押さえながら動けなくなった

けが直後の4月の春巡業こそ全休したものの、5月の夏場所は出場を決めた。そこから本場所に出ては途中休場を繰り返す、負の連鎖が始まった。数多くのけがを乗り越えて38歳まで現役を続けた元大関魁皇の浅香山親方は「けがは(力士にとって)つきもので、みんなすること。けがとどう向き合うかでその先の人生が変わる」と指摘したうえで、こう続ける。「稀勢の里は徹底してけがを治し、稽古をしっかりできるようになってから本場所に出るべきだった。試す場もないまま本場所に出たように見えたし、結局場所に出ても中途半端に終わった。横綱だから番付も落ちない。半年くらい堂々と休めばよかった」

稀勢の里が横綱に昇進するまでの15年間で休場はわずか1日だけ。大きなけがと向き合う経験値は乏しかった。かつて腸捻転を患ったときには、水も食事もとれないなか、入院先の病院から本土俵に立ち続けたこともある。稀勢の里の頭の中に、そもそも休場の選択肢がなかった可能性もある。また、けがの直後は稀勢の里フィーバーが巻き起こっており、横綱昇進披露宴も5月の夏場所前に盛大に行われた。稀勢の里も「(ファンに)巡業で見せられなかった分、本場所でいい姿を見せたい」と語っていた。休むに休めない状況で、本場所に出場しながら治す考えだったのかもしれない。

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