フルーツサンド、発祥は京都? 贈答文化 果物ふんだん(もっと関西)
とことんサーチ 手汚れず 花柳界御用達

関西タイムライン
2019/1/10 11:30
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サンドイッチ用のパンに生クリームとイチゴやパイナップル、メロンといった果物を挟み込んだ「フルーツサンド」。京都では喫茶店の定番メニューとして、市民に愛されている。発祥の地は京都なのだろうか。進化の歴史をたどってみた。

名店の一つが四条大宮にある創業1869年(明治2年)の果物店「ヤオイソ」だ。1972年、本店にパーラーが開店し、味わえるようになった。5代目の長谷川暉夫会長が修業に行った大阪のフルーツパーラー「キムラ」のメニューを参考にした。

「キムラは歯応えを重視し、カシューナッツやピーナツなどのナッツ類も入っていた。自分の店では果物をしっかり味わえるように、ナッツは抜いた」と長谷川会長。

現在は大きめのイチゴ、メロン、マンゴーにパパイアを入れたロイヤルフルーツサンド、イチゴや柿など旬の果物を1種類だけ盛り込んだ季節限定の商品も人気だ。

北野天満宮の近くにあるフルーツパーラー「クリケット」。74年の開店当時から提供する。京都の市場で果物の卸売りを手掛けていたが、アンテナショップとして誕生した。果物のおいしい食べ方を広めながら、在庫管理を効率化する狙いだ。

創業者のひ孫にあたる小坂洋平社長は「パーラーで提供されるメニューは、店頭の果物が熟し切った最高のタイミングの逸品」と話す。さっぱりしたクリームで、果物の味を引き立てる。

調べていくと、戦前から出していた店が祇園にあった。果物専門店でパーラーを併設していた「八百文(やおぶん)」だ。残念ながら現在は残っていない。

ヤオイソの長谷川会長によると、大正、昭和には「東の千疋屋、西の八百文」と言われたほどの名店だった。ただ、いつから扱っていたかは分からない。

では、東京はどうか。江戸時代創業の千疋屋総本店(東京・中央)が国内初のフルーツパーラーといわれる「果物食堂」を開いたのが1868年(明治元年)。ハイカラな食文化の一端が味わえる店として好評を博した。ただいつから、フルーツサンドがメニューに加わったか「記録が残されていない」という。

1885年(明治18年)創業の新宿高野(東京・新宿)のフルーツパーラー開設は1926年(大正15年)だ。当時のメニューにはフルーツサンドがあった。欧米と日本を結ぶ日本郵船の客船でシェフを務めていた人物が入社、フルーツをふんだんに使ったぜいたくなメニューの数々を考案したといわれる。

発祥の地は京都や東京か、また、別の都市かははっきりしなかった。少なくとも大正から昭和にかけて、当時、高級品だった果物をあえてパンに挟んで顧客に提供した。

立命館大学食マネジメント学部の鎌谷かおる准教授は「食べ物が嗜好品として扱われるのは1960年代に入ってから。戦前のフルーツサンドは、ケーキ未満の『ちょっとしたぜいたく』だったのではないか」と推察する。海外の見慣れない果物を食べてもらうために、フルーツポンチやフルーツサンドといった日本人向けのメニューが考案されたという。

疑問はまだ残る。京都でフルーツサンドが定番化した理由だ。周囲に果物の産地が豊富にあるわけでもない。

下鴨神社に近い果物専門店でフルーツサンドも提供するホソカワを訪ねた。細川紀昭社長は「贈答品需要が多い京都では高級な果物が必要とされる。質の高い果物が集まりやすいのが一因ではないか」と推察する。中心部に日本で一番古い中央卸売市場があり、新鮮な果物が手に入りやすかったことも寄与したようだ。

かつて果物が中心だった贈答品が花などに取って代わり、市内の青果店がピークの4分の1程度にまで減った。それでもフルーツサンドが息長く京都で愛されている。

背景には、得意先に京都の花柳界や歌舞伎界があることも強みのようだ。芸妓(げいぎ)や役者らの稽古の忙しい合間でも手を汚さず片手で食べられる。店舗によっては得意客にバイクの配達にも応じていることでもうなずける。

(京都支社 山本紗世)

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