元アップル技術者、コーヒーに挑む(探検!九州・沖縄)
リン・ウェバー・ワークショップ代表 ダグラス・ウェバー氏(肖像)
世界中のバリスタがほれ込むコーヒーグラインダー(豆ひき)が福岡県糸島市の山奥で設計・開発されている。米アップルをやめ「第2の母国」日本で起業した米国人デザインエンジニア、ダグラス・ウェバー(39)は、衰退する「モノづくり大国」に新風を吹き込もうと奮闘している。

駐米家族と交流、日本に関心抱く
「すごく甘いでしょ」。自らひいた豆で抽出したエスプレッソを前に、ウェバーは流ちょうな日本語で誇らしげに語る。赤く完熟したコーヒーの実は「チェリー」と称されるように、本来は砂糖なしでも甘みがある。「焙煎(ばいせん)やひき・抽出が悪いから、単なる苦い飲み物になってしまっているんですよ」
グラインドの精度が高くひき残りがない。工具不要で分解でき古い粉が残らない。性能の高さと機能美が評判を呼び、2016年にネットで発売すると約10万円の手動グラインダーが2千台、約35万円の電動タイプは200台売れた。製品を手にとって見られるよう、2月にカフェを福岡市・薬院で開く準備中だ。
1980年代後半、ロサンゼルス郊外。生まれ育った街には日本から多くの駐在員家族が来ていた。一番仲が良かった「田中くん」とは、「毎日コロコロを読んだり、スーファミで遊んだり……」。流ちょうな日本語のゆえんだ。
バブル崩壊とともに親友一家は帰国したが、日本への関心は抱き続けた。名門スタンフォード大に進学し、3年時には京都大に交換留学。帰国後、アップルから採用オファーを得たものの、「働く前にもう一度」との思いで奨学金を得て九州大に留学した。
知り合った居酒屋店主が糸島に陶芸工房を持っていた。週3度通い作陶に没頭。1年で200点を焼いた。「日本を離れる直前に個展を開いて、全て売っ払いました」
吹っ切れたウェバーは02年にアップルに入社。株価は1ドル台で低迷し「社の歴史のほぼどん底」。だがその分「なんでもできそう」。直感は的中し、入社すぐ携帯音楽プレーヤー「iPod nano」のチームに初期メンバーとして配属。どう組み立てれば最も薄くできるか、機構設計から素材選択まで考え抜いた。
5年ほどたち、日本で働きたいとの思いが再燃する。そこで日本の中小企業に眠る技術を掘り起こし、アップル製品の開発に役立てることを提案。「日本語で技術が話せるのは自分だけ」と手を挙げた。
50年残る機械、糸島から世界へ
素材でも加工手法でも、展示会やカタログで気になった企業には片っ端から電話をかけ、全国の工場を訪ね歩いた。確信したのは「油くさいところに入っていかないと、信頼されないしビジネスもできない」ということだ。現在も採用されている、ディスプレーに指紋を付きにくくする技術の開発など成果を上げた。
同時にアップルに対する「満腹感」も感じていた。転換点と振り返るのは07年、「iPhone」の発売。「規模がとてつもなくでかくなり、自分の会社じゃない感じがした」。株価は100ドルを超え時価総額は最大に。「製品をスクラップする中国工場の想像を絶する現場」も目の当たりにした。スマートフォンのように数年で寿命がくるものではなく、子孫代々が使える製品をつくりたい――。
人間の味覚は変わらず、半世紀たっても「おいしいものはおいしい」。テクノロジーを生かして50年後も古びないものがつくれる。「機械と食」に可能性を感じ、14年に「リン・ウェバー・ワークショップ」を共同創業。かつて通いつめた糸島に居を構えた。
生産委託工場のある台北には、糸島を朝出れば昼前に着ける。だが「いつかは糸島に工場をつくって人も雇いたいんです」。モノづくり大国の復活を願い、今日もウェバーは「油くさいところ」を訪ね歩いている。=文中敬称略
西部支社 今堀祥和
写真 塩山賢